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2012年1月

2012年1月31日 (火)

景情小品

 『景情小品』(大正7年4月、日吉堂本店)。編者は、鹿島櫻巷という人物。

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 詩歌、小品のアンソロジー。「景情」とは、自然や世情のこと。

 編者自身の「悽愴の一夜」は、日比谷暴動をとらえる。「丸の内の報知社の編輯局に来て」とあるので、報知新聞の記者か。

日比谷の停留場附近は人の山を成して、電車焼打の予報は誰伝ふるとなく、編輯局に達する、午後九時一道の青い火柱が桜田門外の空を衝て立つと、続いて一道、二道、遂には間近の中山邸前にも青い火が燃え立つ、宛然火柱の行列である、編輯局員は外廊に簇がつて、此の物凄い光景を見物する。

 見物だけではなく、負傷者に窓帷をひきちぎってなげおろしたりしている。また、暴徒は「火箭」を子どもを使って投げさせているということも記録されている。

2012年1月30日 (月)

漢文力その他

 昨日は、午後8時過ぎに帰宅して、NHK教育の「日本人は何を考えて来たか―非戦と平等を求めて 幸徳秋水と堺利彦」をしっかり見た。

 クリスティーヌ・レヴィさん、85点、番組全体は70点。

 まず、幸徳秋水の「兵士を送る」という文章のつぎのところ。

諸君今や人を殺さんが為めに行く、否ざれば即ち人に殺されんが為めに行く

 「否ざれば」という部分を番組中の朗読でも、アナウンサーも「いなざれば」と読んでいた。レヴィさんだけが「しからざれば」と正しく読んでいた。これは、制作陣全体が漢文力が低下していて気づかないということを示している。わたしのようなぼんくらでもおかしいと思うところをどうして見過ごすのだろう。しかも、レヴィさんはちゃんと読んでいるではないか。

 秋水の『廿世紀之怪物帝国主義』をレヴィさんは仏訳したという。番組終了後、書架から岩波文庫版を取り出してみると、第二章が「愛国心を論ず」で、第三章が「軍国主義を論ず」になっている。非戦の背景にはナショナルな心情はどのようにかかわったのか、そのあたりを、フランスの当時の政情とからめて、レヴィさんからもっと聞くべきであったと思われる。
 レヴィさんは、大逆事件のところで、フランスでは、日本政府を批判する論があったとともに、右派が処刑を支持した記事を書いていると言っていた。そういうところをもっとほりさげてほしかった。
 軍国主義という言葉は、注釈の対象としても重要だと思う。

 山泉進氏は、社会主義を、個人の主義に対して、公共性つまり社会を重視したというふうに説明していた。そういう言い方をすると、アナキズムの個人の問題はまったく欠落してしまう。新自由主義の公共性の論理に対抗できるのかと思った。

 これに対して、レヴィさんが堺利彦の思想に関して、日常的な個人のレベルでの平等を重視していたと言っていて、深く共感した。

 山泉氏が冬の時代の状況認識として、啄木の「時代閉塞の現状」を持ちだしたが、違和感をもった。これは議論のあるところだろうが、敵を見出したいというナショナルな心情が「時代閉塞の現状」には、あるとわたしは考えている。権力を閉塞と見なしているのではないのだ。

 まあ、一つのトーンにまとまらず、係争する声が聞こえてきたというのは、よい番組だったのかもしれない。

2012年1月28日 (土)

伝統の借用

仕事に向かうまえに、足立元『前衛の遺伝子 アナキズムから戦後美術へ』(2012年1月、ブリュッケ)を購入。B判だとばかり思いこんでいたのだが、A判だった。

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 仕事場に行くまで少し時間があったので、カフェに入りさっそく読む。本はすぐ読め、だ。序、結と第一章「大逆事件と美術 小川芋銭の漫画から」を読む。様式の混沌という意味でアール・ヌーヴォーという言葉が使われている。

 芋銭の漫画について、次のような指摘がある。

小川芋銭の漫画にある俳画や中国の書画の伝統とは、近代芸術的な視点からの、意図的な伝統の借用でもあったのである。

 この「伝統の借用」という考え方に共感する。わたしは、「伝統の再帰性」「伝統の再解釈」という概念で、たとえば、正岡子規の略筆画に斬新な要素を見出してきた。
 足立氏によれば〈接合〉という概念にあたる。

 美術と社会思想の関連を探る本書は、境界的領域を意識している文学研究者にも大きな刺激を与えることだろう。

 

 モノクロ図版だが、動きそのものをとらえた望月桂の作品はおもしろい。

2012年1月27日 (金)

前衛の遺伝子

 足立元『前衛の遺伝子 アナキズムから戦後美術へ』(2012年1月、ブリュッケ)が出たようだ。

 この人の発表を聞いたことがあるが、たいへん面白いものだった。

 足立氏のブログ《前衛芸術と社会思想》から著者自身の解説による読みどころをいくつか引用しておく。

 

・本書は、基本的にお上品な美術をあまり扱っていない点、そして危険な思想と前衛芸術との関わり合いを論じた点などが、近代日本美術史の本としては特異である。だから、普通にきれいな近代絵画が好きな人よりも、現代美術が好きな人のほうが本書を読めるかもしれない。
・ 明治期の終わり、1910年の大逆事件あたりから書き起こして、幸徳秋水とともに始まった(そしてすぐに消えた)アナキズムの美術のあり方を描き出した。アナキズム思想が好きな方には、このあたりに関心を持って貰えるかも。
・ 大正期にアナキスト大杉栄が関わった芸術団体・黒耀会について、初めて深く掘り下げて作品や組織を論じた。黒耀会やその主宰者である望月桂の名前は、日本美術史を研究している人でさえほとんど知らないけれど、その活動の凄さが知られるようになったら10年後にはMAVO並に有名な存在になるはず。

 大逆事件と小川芋銭の関連を扱った章もある。

 大書店にはならんでいるようだ。ぜひ購入したい。

 

イメージを裏返せ!

 《裏返しのラス・メニナス》。出典は、『イメージの図像学』(1992年11月、白地社)。

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 福田美蘭が横方向からのを描いていたと思う。

 描いてくれた人とは、年末に会ったが元気だった。味がある絵で気に入っている。

 王夫妻の背後をドアにすべきだったかもしれない。

2012年1月26日 (木)

猫まみれ

 『猫まみれポストカード 招き猫亭コレクション』(2011年12月、求龍堂)。

 これは未開封のまま置いておこう。

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2012年1月25日 (水)

熱海の病める宮

 小栗風葉『金色夜叉終篇』(明治42年4月、新潮社)

 扉と、口絵。口絵は梶田半古、目次では《熱海の病める宮》となっている。

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2012年1月24日 (火)

ワンコインブック

 ワンコインブックとは、500円の本。簡単な装幀で、ご覧のように背には著者名がない。

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 今日行きつけの書店の美術の棚で見つけたのが右の本。
 中川越『だまし絵の不思議な心理実験室』(2012年1月、河出書房新社)。もとは、KAWADE夢文庫に入っていたとある。錯視の基本事項をイラスト入りで平易に解説した本だが、電車で読むのにはちょうどいい。

 まんなかは、イエス小池『業界残酷ドラマ漫画家アシスタント物語』(2010年9月、マガジン・マガジン)。これは、おもしろく、一気に読んでしまった。文庫でも売れるのではと思う。マンガ史の貴重な資料でもある。コンビニで買ったが、すごく得をした気がした。

 左は、山本誠志『〔図解〕ドラッカーがわかる本』(2011年5月、学研パブリッシング)。そこそこおもしろかった。これもコンビニで見つけた。結局、エッセンシャル版の『マネジメント』を購入したが。

 さて、紙も上質ではないし、多くは、雑学本のワンコイン本。上記3冊は、なかでもかたくてまじめなほうだ。

 500円という価格帯は、今なら新書はもとより、文庫よりも安価だろう。部数はどのくらいなのだろう。

2012年1月23日 (月)

〈緑人社〉の青春

 ブログ《「北方人」日記》で見て面白そうなので、小樽文学館に注文していた、亀井志乃『〈緑人社〉の青春―早川三代治宛の木田金次郎・高田紅果書簡で綴る大正期芸術運動の軌跡―』(2011年12月、小樽文学舎)がとどいた。

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 さっそく100頁ばかり読んでみたが、とてもおもしろい。「プロローグ」にある次の一節が本書の輪郭をよく物語っている。

『生まれ出づる悩み』の〈木本君〉のベールを透かして見るのではない木田金次郎、有島武郎が拓いた〈農民文学〉の系譜を受け継ぐ小説家としてだけでは把握しきれない早川三代治。小樽滞在期の石川啄木の脇役であるだけではない把握しきれない高田紅果、そして同時代に小樽や岩内に生きた様々な人々・・・・・・。今までに世に知られて来なかったエピソードを、今、この現代に、若々しい青春のストーリーとして新しく説き起こしたいと願いながら、筆者は、キーボードに向かってきました。

 小生は、啄木と交流があった高田紅果のことが知りたいという動機があったのだが、レコードコンサートなどを開催して文化活動を行っていた行動力のある人物であることがわかった。また、文学と美術が交流するさまも、興味深い。
 文化学院の展覧会以前に、オシップ・ザッキンの作品が、大正10年の第8回二科展に出品され、木田に影響を与えていることが掘りおこされている。

 石川啄木に関心のある人にはぜひ読んでほしいし、有島武郎の影響圏の研究としても重要な本だと思う。

 限られた書簡資料から、評伝を書く際のサンプルにもなる本だ。

 文化に経済や政治がどのように影響するかも追跡してあって読みごたえがある。

 緑人社の緑人とは、green youth 「青二才」のことであるという。

 小樽文学館は、こちら

架空ツイート

 ツイッターはしていないので、もししたらという架空ツイート。

◇シャーリー・マクレーンなんて知ってるのは年長者なので、それなりに配慮しているんだろう。

◇《神保町系オタオタ日記》、ちゃんと下書きがあるんですね。
 〔付記〕小生もちゃんと準備した記事を書こう。

◇例の哲学者はおしゃれなメガネをしていたが、発言内容とファッションはどうかかわるのだろう。
 〔付記〕いけない。いけない。どんなにおしゃれであろうと、発言内容とは関係ありません。

◇疲れた。寝ます。

2012年1月22日 (日)

日本美術学院、渡辺文子

 以前、日本美術学院のことが気になると書いたが、ブログ《出版・読書メモランダム》に「古本夜話163 田口掬汀、日本美術学院、『美術辞典』」という記事がある。小田光雄氏は、「田口掬汀と中央美術社」(『古本探究3』所収)という文章も書いている。小説家の高井有一が孫にあたり、田口の伝記小説『夢の碑』(新潮社)を書いていることも指摘してある。

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 最近、及川益夫『大正のカルチャービジネス』(2008年5月、皓星社)という本があるのに気がついて購入した。版元の紹介を引用すると、「日露戦争後、盛んになった各種通信教育。田口鏡次郎が興した日本美術学院と中央美術社での活動を通じて、絵画通 信教育の経過をたどる。 考案した化粧液で化粧品業界の寵児となった堀越嘉太郎についての詳察も収録。さらに、「女流洋画家」渡辺文子のレート化粧品広告図も紹介。いずれも、大正期を共有した創業者・開拓者をめぐる論考」である。

 「日本美術学院と掬汀田口鏡次郎」の章では、美術の通信教育の実態が紹介されている。日本美術学院の通信教育について、次のように記されている。

 百穗は大正元(一九一二)年八月二十八日付の手紙で、兄善蔵に借金の申し込みをした。文面から、百穗が通信教育的な雑誌発行の構想を持っていたことがわかる。百穗は、この春から考えていた、小中学生をねらった「低い程度のスケッチ講習録といった月刊誌」を十月から発行したい、と述べる。事務取扱者と編輯者はだいたい決っていた。百穗は新潮社の佐藤儀亮に助けを求めるのを好まない。利益を吸上げられるのと、結局は自分たちが使われる身になるからである。よって、兄に金策を頼むことにした。
 百穗書簡は時期と主旨の点で、学院の通信教育と平仄が合う。百穗が小中学生をねらったのに呼応するかのように、学院の新聞広告は「小学校卒業期の学力にて了解し得べき平易の講義」をうたっている。洋画教程では、「スケッチ」に必要な鉛筆画・風景画、特に水彩画の科目に重点が置かれている。日本美術学院に佐藤儀亮は参加していない。

 鏑木清方もかかわっており、田口の回想によれば、金鈴社のはじまりも田口の通信教育が発端となっているという。

 もう一つ、最後の「渡辺文子とレート化粧品」という章がおもしろかった。昨年、高村智恵子のことを調べた際に、いつも比較の対象として渡辺文子のことを思い浮かべた。
 文子は、画家宮崎与平と結婚するが、明治45年に与平は亡くなる。再婚を拒み自活を目指した文子は、夫与平が仕事をしていたレート化粧品の広告を担当することになった。及川氏によると、「渡辺文子が広告挿絵に活躍したのは、図像広告が広告の主力になり、親密感ある手描き風挿絵と、簡素化された文言・標語が重視され始めた、ちょうどその時期だった」という。
 他にも、絵本筋書や、雑誌の挿画で文子が活躍したことが記されている。
 高村智恵子も一回の落選で懲りずに、展覧会に持続的に出品し、コマ絵や挿絵で収入を得ることができていたら、もう少し異なる道を歩んだのではないか、と思えるのである。

2012年1月19日 (木)

走り買い

 ちょっと遠出をすると、時間がないのだが、目についたものをすぐ買いたくなる。名付けて走り買い。

 最近購入の猫関連グッズ。

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2012年1月18日 (水)

お知らせ

 なかなかおもしろそうです。

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2012年1月17日 (火)

お知らせ

 過日、お知らせした大逆事件に関するTV番組の中味がより詳しくわかりました。

「日本人は何を考えてきたのか」 「明治編 文明の扉を開く」
1月29日(日)10時~11寺30分 NHK教育テレビ
第4回 非戦と平等を求めて 幸徳秋水と堺利彦

幸徳の『廿世紀之怪物帝国主義』をフランス語に翻訳したフランス・ボルドー大学教授のクリスティーヌ・レヴィさんによって、幸徳と堺の思想を再考するもの。

 番組紹介は、こちら

 これまでの放映分は見ていないが、信頼性の高いブログがほめている。

2012年1月16日 (月)

漱石は文学博士である

 『武蔵野文学』59集(2011年12月、武蔵野書院)が「漱石ノ気骨」という特集を組んでいて、「博士号辞退に関する文献」では東北大学付属図書館漱石文庫蔵の手紙、原稿がカラー版で紹介されている。
 なかに、文部省の明治44年4月19日付、漱石宛通知というのがあって、封筒の裏は大きな文字で文部省と書いてある。通知文を書いているのは、当時の専門学務局長福原鐐二郎で、次のような一節が見出される。

辞令書ヲ受領セラルルト否トニ拘ラス発令後ノ今日ニ於テ貴下ハ已ニ文学博士ノ学位ヲ有セラルルモノト認ムルノ外無之候

 よく知られているように、漱石は学位を辞退したが、役所の見解は、漱石は文学博士であるというものであった。

 この件については、ジェイ・ルービン『風俗壊乱 明治国家と文芸の検閲』(2011年4月、世織書房)の第12章にも指摘がある。ルービン氏が参照しているのは、藤原喜代蔵の『明治大正昭和教育思想学説人物史』という本で、学位授与者の名簿があり漱石の名が記されている。

 平岡敏夫氏は、上記特集号に寄稿した「漱石の気骨―博士問題・佐幕派気質―」で、薩長の明治政府に抵抗する佐幕派気質が背景にあるのではないかと指摘している。

 漱石は、雑誌『太陽』の名家投票の金盃も返却している(ルービン氏著276頁)。

2012年1月15日 (日)

旧稿より②

 旧稿を再掲する。初出は『枯野』第12号(2002年3月)。
 語注を拡張した文脈注の考え方を『それから』の具体例を通じて示したものである。

   『それから』の「古版の浮世絵」について

 

                       木股知史

   1 古版の浮世絵

 近代文学における注釈の問題について、ささやかな例を取り上げて考えてみたい。夏目漱石『それから』の第四章に平岡三千代について次のような描写がある。夫とともに地方から東京にもどってきた三千代がはじめて、代助の家を訪問するくだりで、三千代が書生の門野に導かれて座敷に入ってきたときの描写である。

 平岡の細君は、色の白い割に髪の黒い、細面に眉毛の判然映る女である。一寸見ると何処となく淋しい感じの起る所が、古版の浮世絵に似ている。

 この「古版の浮世絵」という言い方が以前からひっかかっている。たとえば、一般読者向けの簡単な注がついている旺文社文庫版『それから』(一九六六・九)では、「むかしの古い浮世絵」となっている。「古版の」を「むかしの古い」と言い換えただけだが、語注としてはそれで用が足りるということだろうか。筆者の感じているわかりにくさは、「古版」という語そのものが単に古いという意味でよいのかどうかということと、この部分が、表現の他の部分とどのようにかかわるかが興味深い問題をはらんでいるということにかかわっている。後者については、三千代の容貌の描写にかかかわるが、「浮世絵」の女と形容されている三千代について、引用部分のすぐ後で、その印象的な瞳についての言及がある。

 三千代は美しい線を重ねた鮮やかな二重瞼を持つてゐる。眼の恰好は細長い方であるが、瞳を据ゑて凝と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助は是を黒眼の働きと判断してゐた。三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代の斯う云ふ眼遣を見た。さうして今でも善く覚えてゐる。三千代の顔を頭の中に浮べやうとすると、顔の輪郭が、まだ出来上らないうちに、此黒い、濕んだ様に暈された眼が、ぽつと出て来る。

 たしかに「眼の恰好は細長い方である」という特徴は、浮世絵の女にあてはまるが、「二重瞼」や「何かの具合で大変大きく見える」という「黒眼の働き」は、浮世絵の女性像に必ずしもあてはまらない特徴である。それらは、浮世絵とは対極の西洋の女性像の特徴だといえるのではないか。こうしたヒロインの外見描写について、微かな齟齬と感じられる要素を導入していることの意味は必ずしも明確になっていない。
 「古版」という語の意味を確定することは、語注のレベルの問題だが、表現全体の中でその部分が持つ意味を探るということは、語のレベルを超えたところでの作業である。つまり、注釈は語注に限定されない、表現全体の構造の中での当該部分の意味を考えるという、文脈注・表現注の問題をはらむのではないだろうか。注釈といえば語注がすべてという考えはせまいもので、文脈注・表現注の可能性を探究するべきではないかというのが、筆者の考えである。引用部分の諸注を検討しながら、注釈の立体化・構造化の問題をさらに具体的に考えてみることにしよう。

   2 事実と表現

 岩波書店新書版『漱石全集』第八巻(一九五六・七)の注は古川久の編であるが、「古版の浮世絵」について次のように記している。

明治四十二年月十四日の日記に「きのふ鰹節屋の御上さんが新らしい半襟と新らしい羽織を着ていた。派出に見えた。歌麿のかいた女はくすんだ色をしてゐるほうが感じが好い」とあるが、これにヒントを得たのである。

 この注は、後続の注に一つの軌道を与えている。すぐ気がつくのは、作品と作者を直通させる発想が前提となっていることである。作者漱石が気に入っていたという近所の「鰹節屋の御上さん」が小説内の人物である三千代の造型にヒントを与えたのではないかというのである。こうした見方の先蹤は小宮豊隆にある。古川の注と同じ軌道にそって、荒正人は『漱石文学全集 第五巻』(一九八二・一二 集英社)の注で、日記の同じ部分を引用したあと、次のように記している。

この「御上さん」の存在は漱石の注意をひいたらしく、四月二日、三日の日記、十二日の鈴木三重吉宛書簡でもふれている。それらを引用して、小宮豊隆は『夏目漱石』で「この『鰹節屋』といふのは、榎町「漱石の住んでいた早稲田南町の近く)の、お釈迦様のならびの鰹節屋である。そこの神さんは、色が蒼白く、下膨れの長顔で、まつたく『歌麿のかいた女』らしい女であつた説明し、「『それから』の三千代が、心臓が悪くて、色が蒼白く、下膨れの長顔で、『歌麿のかいた女』らしい女として描き出されているのは、或はこの鰹節屋のお上さんの顔がモデルにされているのではないかと思ふ」と推定している。

 小宮の考え方に問題があるとすれば、小説の表現は、必ず現実の体験に材源を求めるのかどうかということである。小説の表現と現実は、単純な一本の線で簡単につながれ、漱石のいう「鰹節屋の御上さん」が三千代の造型に影響を与えたという可能性が、何の疑いもなく語られている。虚構の「古版の浮世絵」の女が、漱石が好感をもっていた現実の「歌麿のかいた女」に直線的につなげられている。「浮世絵」と「歌麿」の連想がそうした関連づけの背後には働いているだろう。事実にこだわれば、小説内の表現である「古版の浮世絵」を一義的に歌麿に関連づけることは妥当かという疑問がある。また、「細面」の三千代は、「下膨れの長顔」なのだろうか。
 そうした疑問はおいても、事実を虚構表現の典拠とする発想は、注釈の根拠にならないのではないだろうか。筆者はモデルの存在の可能性そのものを否定しようとは思わない。ただ、小説の表現は、表現としての秩序と自律性をそなえており、そのことを考慮すれば、現実からの返照は、重要な参照事項ではあっても、注釈を決定する中心的な事項だとはいえない。事実は、虚構の構成要件の参照事項にとどまる。あくまで「古版の浮世絵」という表現は、『それから』という小説の中で使用されており、長井代助という登場人物が平岡三千代という登場人物を見たときの「淋しい感じ」という印象を説明するために持ち出されているのである。
 注釈は、対象とする表現内の語を、その表現が成立した時代における意味によって読みとることにとどまるのだろうか。本居宣長は、語の意味はその語が使われた時代において測定されるべきだと考えているが、これは語注の基本的な態度といえるだろう。語の意味をその表現が成立した時代に常にかえしながら読む宣長的な還元主義は、昨今の近代文学の注釈においても踏襲されているが、筆者はそれだけでは、注釈の立体化は不可能だと考えている。表現が成立した時代への還元だけでは、表現の内部でのその語の意味を確定することはできないからだ。「古版の浮世絵」という表現についてなら、「古版」や「浮世絵」という語の意味や暗示的含意を、表現成立時代の水準で確定することとともに、表現内部で、その語が用いられた表現的な意味についても考察する必要がある。前者が還元的注釈なら、後者は表現的注釈というべきかもしれない。注釈は盛んに行われているが、表現的注釈の方向性はそれほど深まっていないように思われる。

   3 語注

 ここでは、「古版の浮世絵」の語のレベルでの注釈について確認しておきたい。岩波書店版『漱石全集 第六巻』(一九九四・六)の注は、中山和子が担当しているが、次のように記している。

「浮世絵」は江戸期に発達した風俗画の一様式。肉筆と木版画があり、菱川師宣以降の版画は特に隆盛をきわめた。美女、役者、風景、花鳥など、図柄は多彩。江戸後期の喜多川歌麿がとくに優艶な美人版画で一世を風靡した。「古版」は古くなって色がくすんだ感じをいう。明治四十二年三月十四日の「日記」に「歌麿のかいた女はくすんだ色をして居る方が感じが好い」とある。

 「浮世絵」については、一般的な概説をおこない、「古版」については、漱石の日記の「鰹節屋の御上さん」についての記述の「くすんだ色」と関連させて、「古くなって色がくすんだ感じをいう」としている。典拠の論理性があいまいで、とても恣意的な注の付け方のように思われる。第一、「古版」が「古くなって色がくすんだ感じをいう」とすれば、それにたとえられた三千代が、「色の白い割に髪の黒い」と描かれていることに矛盾するのではないか。「古版」が古いということを含意するのはまちがいないが、どの基準からその古さが計られるのかが問題だと思う。
 『日本国語大辞典』は「古版」に次のような意味をあてている。この項目に関しては第二版も同じ記述である。

【古版・古板】[名]古い版木。旧版。また、昔、出版された書籍。古版本。

 おもしろいことに、使用例として、ここで問題にしている『それから』の当該部分が引かれている。『それから』の例文については、「古い版木」「旧版」という意味があてられるのだろうか。「昔、出版された書籍」や「古版本」という意味はあたらないように思われる。「古い版木の浮世絵」ということになるのだろうか。わかったようでまだ曖昧な気もするので、浮世絵に関する専門的な述語として「古版」という語を調べてみよう。浮世絵に関する専門事典である、吉田暎二の『浮世絵事典』(一九七一・三 画文堂)の「古版」の項は、「「古版本」の項参照」と記したあとで、次のように解説している。

なお本ではなく、慶長以前の木版は古版と呼ばれ、その最古のものは百万塔中の陀羅尼の経文とされている。また江戸時代の版画でも、新版物に対し、古く出版されたものを古版ともいった。

 この記述によって、ようやく語義の中心に近づけるような気がする。「古版」という言い方は「古版本」という呼称からの派生である可能性が示唆されている。ちなみに、「古版本」の項の解説は、「江戸時代以前の版本活字本などを総称していう」とあって、「春日版、高野版、五山版、慶長版、慶長勅版及び同私版、活字版、嵯峨版、高麗版」などをさし、中国のものでは、「明より以前の宋版、元版、明版」などもそういったと指摘している。そして、「新版に対して、すでに刊行されたものを古版本という場合もある」としている。「古版本」という言い方は、特定の対象について使われたが、一般的に「古版」という言い方は、書籍でも版画でも、新版に対して古く出版されたものをさすというのが、吉田暎二の考えである。
 吉田の解説にそって「古版の浮世絵」という表現について考えるならば、新版に対してそれより古い時代に刷られた浮世絵ということになる。次に問題となるのは、その新版の基準がどこにあるかということである。浮世絵の歴史の中でより古い時代ということか、明治期にも浮世絵は版行されているので、明治期ではなくそれ以前の、すなわち江戸期の浮世絵ということか、どちらかになるだろう。筆者は、後者のようにとれば落ちつくと考えている。「古版の浮世絵」という表現が、明治期にも浮世絵は行われたが、それ以前の古い江戸期の浮世絵をさすとするなら、三千代の「淋しい感じ」がそれにたとえられていることは、三千代が代助によって、明治に生きていながら、江戸期の浮世絵にたとえられるという表現的な意図をも浮かび上がらせることになる。このことの詳細については、語注のレベルをこえるのであとでふれることとする。

 前者のように、浮世絵の歴史の中でより古いととりうる可能性についても見渡しておこう。まず、事実の次元の歌麿にたとえられた「鰹節屋の御上さん」の連想から、「古版の浮世絵」と歌麿を結びつけるのは、あまり根拠がない。三千代の「淋しい感じ」と歌麿の美人は結びつきにくいように思えるがどうだろう。くすんだ感じの歌麿の女は、「淋しい感じ」がしたのだろうか。よくわからない。確たる根拠はないので参照事項程度のことにすぎないが、三千代の印象は、江戸後期の歌麿よりも、江戸中期の鈴木春信が描く女人に近いように、筆者は感じている。
 ともあれ、語注のレベルでは、「古版の浮世絵」は明治の当代から見て古い江戸期の浮世絵ということではないのか。筆者がこの理解を選択するのは、そうとれば、「古版の浮世絵」という言い方の中に明治と江戸の対比がふくまれていると考えることができるからである。

   4 文脈注、表現注

 

語のレベルから、文脈のほうに注釈の対象領域を広げてみよう。先にふれたように、「古版の浮世絵」という表現によって、三千代の「淋しい感じ」を示していることと、そのすぐあとの瞳の描写との関連性が、文脈のレベルでは言及されなくてはならないと思う。「二重瞼」や、「凝と物を見るとき」に、「何かの具合で大変大きく見える」瞳という三千代の目に関する描写と「古版の浮世絵」という表現はどのような関係にあるのだろうか。「二重瞼」や、時に大きく見える瞳は、「浮世絵」の女の特性にあてはまらないように思える。それを齟齬や矛盾と言っていいかどうかは議論のあるところだろう。また、「浮世絵」の女の表示する伝統性に対して、「二重瞼」や大きく見える瞳は、西洋的な近代性の表示だと言い切ってしまうことも議論のあるところだろう。瞳は意志の表示のしるしだとすれば、時に大きく見える瞳は、三千代の意志の存在の暗示ととることは可能だろうか。ともあれ、ここでは、三千代の容貌に対して、代助の視線は、方向性の異なる二重の価値づけとして働いているという可能性について指摘しておかなくてはならないだろう。
 『それから』の全体のなかで、三千代の容貌についての描写はほんとうに限られている。二重瞼や瞳のほかに、もう一つ三千代の目の特徴として表現されていることがある。それは、「長い睫毛」の存在である。それは、十四章の、代助がいよいよ「僕の存在には貴方が必要だ」と心の内を三千代に告げようとするその直前に現れる。

 代助は黙つて三千代の様子を窺つた。三千代は始めから、眼を伏せていた。代助にはその長い睫毛の顫える様が能く見えた。

 浮世絵に描かれている女性に、睫毛の描写は見られない。「長い睫毛」も浮世絵の女にはそぐわない要素である。少し脇道にそれることになるが、「長い睫毛」の描写は、西欧の文学から暗示を得たものではないかと思われる。森田草平の『煤煙』とともに、『それから』に密接にかかわるダヌンツィオの『死の勝利』(岩波文庫版上巻 野上素一訳 一九六一・八)には、次のようなヒロイン、イッポリタの睫毛の描写がある。

 彼女はたいそう長い睫毛の間から、眼を半分とじて彼をながめた。
 『彼女の睫毛は最初から僕の気に入ったものだった。ジョルジョは黙想した。『彼女は礼拝堂の中央に、高いよりかかりのある椅子に腰かけていた。彼女の横顔は、窓からさす雨空の明るさのために、くっきり浮かび上っていた。外の雲に切れまができたとき、あたりはとつぜん明るくなり彼女はすこし体を動かした。そして彼女のたいそうな長い睫毛が目にうつった。それは驚嘆すべき長さであった。』

 ジョルジョがイッポリタに惹かれる様子が「長い睫毛」という容貌の細部に集中して描かれている。代助もまた三千代の「長い睫毛」に惹かれているととってもいいのではないか。「長い睫毛」は、容貌の取り上げ方としては西洋的な要素だといってもよいのではないだろうか。 三千代の容貌描写については、表現全体の中で関連的に言及されるべきだと思う。他の小説との関連性も、表現的注釈の対象にふくまれる。『日本近代文学大系26 夏目漱石集』(一九七二・二 角川書店)の注釈で重松泰雄は、次のように指摘している。

「淋しい感じ」は三千代のたいせつな印象の一つとして篇中にしばしば現われる。漱石のある種のヒロインに特徴的なものである。

 重松は、『三四郎』の野々宮よし子についての「遠い心持ちの眼がある」という描写につけた注で、「美禰子とはっきり対照的な女性の姿が感じ取られる」と述べている。また、よし子の眼の描写については、「大きな潤のある眼」「大きな常に濡れてゐる、黒い眸」という表現を関連してあげ、補注では、『それから』の三千代、『門』の御米、『行人』のお直も同じだとし、『行人』の三沢が愛していた精神病の娘の描写を引例している。こうした関連づけは、一つの小説をこえた、他の小説との表現的呼応の指摘であり、注釈を拡充する試みだといえるだろう。ただ、重松は、そうした複数の表現を横断して現れる登場人物の特性について、「漱石の意中の女性のイメージが反映している公算が大きいように思われる」と述べ、作者の事実に関連づけている。それぞれの表現の関連性に留意している点で、重松の注釈はすぐれているが、複数の表現にわたる共通性を結局作家性に還元してしまっている。作家の事実に関連づけるよりも、表現の内部でのそうした特性の意味を考えることのほうが、表現的な注釈にとっては、重要である。
 谷崎潤一郎は「恋愛及び色情」(一九三一)で、美禰子や藤尾は、「柔和で奥床しいことを理想とした旧日本の女性の子孫でなく、何んとなく西洋の小説の人物のような気がするが、あの当時そう云う女が実際にいた訳ではないとしても、社会は早晩いわゆる「自覚ある女」の出現を望み、かつ夢みていた」と述べ、時代の意志を一歩先んじて反映した結果、現実には存在しない美禰子や藤尾という女主人公が生み出されたと考えている。重松泰雄は、よし子は美禰子と対照的だとしたが、谷崎の指摘する藤尾や美禰子の陰画として意志を内向させている女性登場人物の系譜を想定することができるように思う。明治に生きながら、明治という時代に自己をアイデンティファイすることができないことの暗示をその系列の女性登場人物に読みとることはできないだろうか。三千代の「淋しい感じ」は、「古版の浮世絵」のように、明治という当代からは脱落して過去に属しているというずれから生じるのではないか。三千代の「黒い、濕んだ様に暈された眼」は、比喩的なふくみを想定すれば、瞳に暗示される意志がにじみ揺れているというように読みとれる。瞳に見られる西洋的要素と、「浮世絵」にたとえられる伝統的要素の二重性が、三千代の造形に考慮されているように思われる。
 散文の表現から暗示的な含意を読みとる時の、根拠について一言しておこう。筆者は、先ほど、瞳が意志を暗示し、それが「暈かされる」という表現に、意志の内向と揺れの暗示を読みとった。「浮世絵」という比喩によって示された、明治と江戸の時間的対比の文脈から、三千代の意志のにじみ、ゆれが浮かび上がる。また、指示的な散文も、暗示的意味を喚起する場合がある。そのさいは、ある程度、物語の継時的連続から離れた読みが可能となると考えている。散文の表現にふくまれる暗示的な意味は、物語の進行という限定をある程度離脱して読者に理解される可能性がある。
 『それから』とほぼ同時代の表現で、「浮世絵」にたとえられた女の例にふれておこう。永井荷風の『妾宅』(一九一二・二「朱欒」)は、「現代生活の仮面を成るべく巧に被り畢せるためには、人知れずそれをぬぎ捨てべき楽屋を必要と」した「現代文士」の「珍々先生」の「心の安息所」としての「妾宅」での振る舞い、暮らしぶりを描いている。先生は、お妾の夕化粧を眺めながら、「新時代の女性の生活が芸術的幻想を誘起し得るまでには、まだ\/多くの年月を経た後でなければならぬ」という感慨をいだく。男の気をそらさず、言葉を発しながら、手際よく髪を結うお妾に感嘆しながら、「珍々先生は芸者上りのお妾の夕化粧をば、つまり生きて物云ふ浮世絵と見て楽しんでゐる」とされる。荷風の『妾宅』では、明治の当代は否定され、「生きて物云ふ浮世絵」と見立てられたお妾は、江戸の風情を今に生きて体現しているととらえられている。『妾宅』では、明治という当代を否定し、今に生きる江戸としてお妾をとらえるために「浮世絵」という言葉が使われている。それに対して、『それから』では、明治の当代には古くなったものとして、「浮世絵」の比喩が使われている。
 さて、「古版の浮世絵」という表現は、登場人物代助が三千代を見たときの感懐として現れる。つまり、代助という登場人物の視向性の中にこの表現は現れている。小説中のある登場人物の感懐は、作者のイデーと単純に一致するわけではない。むしろ、登場人物の相互的な関係性のあり方にこそ、思想性を見出すべきである。三千代を「古版の浮世絵」に見立てた代助は、三千代を絵の中の女として封じ込めたいという無意識の願望をいだいている可能性がある。絶交を宣告する平岡は、代助に三千代との面会を許さないが、代助の願望は、皮肉な実現の仕方をしてしまったともいえる。そう理解すると、絵の中の女として封じ込めてしまうという代助の願望が復讐されるという物語の構図が浮かび上がってくる。千種キムラ・スティーブンは『『三四郎』の世界 漱石を読む』(一九九五・六 翰林書房)で、美禰子が三四郎の視線から〈絵に描いた女〉として繰り返し表現されていることに注目し、それが、「三四郎の己惚れと性的欲求から生まれた錯覚にすぎない」ことを示していると指摘している。三四郎が〈絵に描いた女〉に虚像を見ているなら、代助は「古版の浮世絵」の女に、自分の美意識にそって実現された、現実の三千代とは一致しない欲望の対象を見出しているのかもしれない。『三四郎』で三四郎の美禰子に対する視向性は滑稽化されたが、『それから』では、代助の願望は復讐される。絵の中の女は、代助の無意識下のネクロフィリア的願望の具体化である。平岡との最後の面会の際に、「僕は是から先、君と交渉があれば、三千代を引き渡す時だけだと思つてゐるんだから」という平岡の言葉に、代助は「あつ。解つた。三千代さんの死骸丈を僕に見せる積なんだ」と応じている。「古版の浮世絵」の女は、「死骸」のイメージとして代助の脳裏に現れるのである。ここが、「古版の浮世絵」という表現からたどれる表現的注釈の最遠地点であろう。
 語注が、表現の外部と参照性をもつ、表現成立時の語の意味の再現であるならば、文脈注や表現注は、表現内部と参照性がある暗示的、喚起的意味の発掘である。文脈上の関連部分との対照から暗示される意味、同一作家の関連する表現との対照から暗示される意味、他の作家の表現との対照から暗示される意味、表現の全体との関連から導き出される意味、登場人物の視向性から推測される意味などが、文脈注、表現注の中身である。これらのことは古典の注釈でも自覚されている。野口武彦は、『『源氏物語』を江戸から読む』(一九八五・七 講談社)で、萩原広道『源氏物語評釈』にふれて、「その書名が告げているように、従来の注釈文をはっきり「釈」と「評」とに区分し、「釈」では主として語句の注釈を記し、「評」では文字どおり作品の分析的批評を試みるという斬新な言語作業だった」と評している。野口は、「各巻で語られる出来事の数々が、いかに総体としての物語を織り上げる高次の言語単位になっているか」を萩原広道の「評」は問題にしていると指摘している。広道の「評」は、批評の試みといってもいいが、文脈や表現全体との関連性の中で語の意味を考えるという点で、語注を拡張した文脈注、表現注の実践でもあるように思われる。還元主義的な語注と、表現内部の表現的意味を問う表現的注釈は、二層化されてこそ、生きた注釈が可能になるのである。

2012年1月14日 (土)

『風俗壊乱』反響(その16)

 『日本文学』1月号の次号(2月号)目次によると、金子明雄氏の書評が2月号に掲載されるようだ。

美人顔は平均値

◇昨日は仕事。帰途、とある地下の古本屋で、講談社文芸文庫版、鈴木信太郎『記憶の蜃気楼』を見つけた。

◇『石子順造的世界』に掲載されている、井上章一氏の「美貌はキッチュをのりこえて」という文章がおもしろい。石子的視点だと、美人の写真はキッチュということになるけれど、井上氏は、美人顔は平均値なのだという。その平均値が力を持っている。その平均値はなにかというと、わたしには、制度以前の制度のようなものに思える。つまり、システムに捕捉される前に、私たちは自分で自分を捕捉しているわけだ。平均値の誘惑をのりこえるためには、キッチュ的下降では通じないということになる。

◇「日本注釈学院」という記事が、身近の読者一名に大受けした。普通に書いてもいいのだが、たまたま小説仕立てにしてみた。注釈にまつわる事柄を少しずつ書いていきたいのだが、今後も学問ラノベ風スタイルでいくことにしよう。まあ、そんなことしていられる状況ではないのだが。気散じしないと仕事もできないからね。

2012年1月13日 (金)

石子順造的世界

 きょうは、少し本を買った。

 美術の棚で見つけたのは、『石子順造的世界』(2011年11月、美術出版社)。これは、現在府中美術館で開催中の展覧会の図録をかねている。図録が図書ではないとされているので、図書館に保存されることが少なく、困ることがあるので、こうして出版されるような方式が増えるといい。本文だけで265頁、年譜や資料がついて2000円、すばらしい。

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 石子順造はわたしにとってとても大事な存在だ。書架の奥から、美術論集『表現における近代の呪縛』(1970年12月、川島書店)を取り出してきた。段ボールの箱がなつかしい。この本がきっかけで赤瀬川原平のものを読むようになった。ただただ、賢くなって行く〈知〉の一本道への疑いが、重要なモチーフの一つだった。
 模型千円札事件を扱った「官許のデザインと芸術の陥穽」の次のような一節は、いまもわたしをとらえている。

紙幣が国家権力の制度であるとは、ほかならぬ僕らの知覚の習いが、深く制度として構造化していることにもとづいていよう。ぼくらは非日常性といい、反国家といいながら、めったなことでは知覚の体制を越えることができないでいるのである。

 『石子順造的世界』でも、千円札裁判が、豊富な図版とともに紹介されている。弁護側は、『芸術である。だから犯罪でない」という立場に立ったが、石子はそれを批判している。当の赤瀬川もだんだんと、芸術の正当性を訴える論理の限界に気づいていくのであった。
 わたしは、その後、ただ賢くなることを必死で転倒しようとしていた多田道太郎という人に出会い、いろいろ教えをうけたのであった。

◇その他、『ジェローム神父』(平凡社ライブラリー)、雑誌『こころ』4号、『本の雑誌』2月号を購入した。『書標』1月号の「不況のテクスト」は無署名記事であるが、よくできている。

2012年1月12日 (木)

タッチパッド用手袋

 

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 ちゃんと作動しました。ローソンで購入。

2012年1月11日 (水)

一條成美

 ブログ《出版・読書メモランダム》の記事「古本夜話165 『新声』、『明星』、「文壇照魔鏡」事件」が、「文壇照魔鏡」事件をめぐる文献を整理してくれている。
 画家一條成美が、『明星』から新声社に移り、佐藤橘香(新声社主、本名儀助)と田口掬汀に情報を提供して、二人が書き上げたものだという、小島吉雄が金子薫園から直に聞いたという真相が引用されている(小島吉雄『山房雑記』1977年、桜楓社)。

 一條成美と「文壇照魔鏡」事件については、『画文共鳴―『みだれ髪』から『月に吠える』へ―』(2008年、岩波書店)で、書いたことがある。『明星』と『新声』の対抗は、単なるメディア市場での主導権争いだけではなく、新派和歌の覇権争いという要素もからんでいることを指摘した。


 窪田空穂が一條と同郷で、一條の出自をめぐるいくつかの記述を残しているが、生涯の輪郭は、明瞭だとはいえない。

 『読売新聞』明治43年8月14日3面に、「一條成美氏逝く」という死亡記事が出ている。

画家一條成美氏は五月以来病痾に悩みつゝありしが十二日夜府下淀橋町柏木の僑居に於て永眠せり氏は信州松本の人、初て雑誌「明星」に於て画才を認られ一時挿画界の寵児たりき一昨年来柏木に卜居して専心研鑽に怠なかりしが洵に惜む可し行年卅四葬儀は十四日午前八時施行

 一條の描線はとても細い。彼のあとを継いで『明星』で活躍した藤島武二の線は、ヴァロットン風に太いので、対照的である。
 下図は河井醉茗の『無弦弓』(明治34年、内外出版協会)の口絵である。

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 細い線のタッチは、Franz Von Bayrosのものに似ている。

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2012年1月 6日 (金)

日本注釈学院

 断片から。

校庭の西の端のクスノキの下のベンチに、古典コースの山森源一郎が浮かない顔ですわっているので、声をかけてみた。
「元気がないな。」
「あ、先輩。まだまだ勉強が足りないと思って。」
「何かあったのか。」
「午前の日本古典の演習で『源氏物語』の「須磨」の巻から出題がありました。例の源氏が廊に立って、雁の歌を詠む場面です。」
「初雁は恋しき人のつらなれや旅の空飛ぶ声の悲しき、という歌だね。」
「ええ。問題は、「恋しき人」の意を問うもので、諸注は、都に残してきた女たちをいうとあります、と答えたのですが、不十分だという指摘を受けました。」
「はあ、それは、時枝誠記博士の『古典解釈のための日本文法』に指摘があるよ。確か、歌の前の部分は、「雁の連ねて鳴く声、楫の音にまがへるを、うちながめたまひて、御涙のこぼるるをかきはらひたまへる御手つき黒き御数珠に映えたまへるは、故郷の女恋しき人々の心みな慰みにけり。」というのだったね。」
「ええ。そこは、問題には引用されていませんでした。」
「与えられた語だけに注目しては、だめだというふくみがあるのだろう。時枝博士は、たとえば、「恋し」という形容詞は、情意を表す場合と、対象を示す場合があり、二つの理解が成り立つことに留意すべきだといっているよ。諸注は、歌の「恋しき人」を光源氏が恋しく思っているととっているが、文脈を無視した理解だと指摘している。」
「文脈とは、この場合どういう意味でしょうか。」
「歌の前の「故郷の女恋しき人々」という表現に注目してみたまえ。」
「ここは、都の女たちを恋しく思っている源氏や供のものたちという意味ですね。」
「そうそう。それで、歌の理解が定まるだろう。時枝博士の解釈では、歌は、「初雁は、都の女たちを恋うている我々流浪の者たちの仲間であらうか、我々と同じように旅の空を飛んでいる声の悲しいことよ」という意味だ。」
「ああ、文脈として、「故郷の女恋しき人々」と「恋しき人」はつながっているということですね。」
「そのとおり。時枝博士は、この理解を、主語と対象語というみずからの文法理論から導き出しているのだが、そればかりではない。旅の空を飛ぶ雁を都の女たちになぞらえるのは不適切だ、流浪してきた源氏の一行こそ雁の列にたとえるにふさわしいとも指摘しているよ。」
「ただ、知識を積み重ねるだけでは、だめなのですね。」
「注するは単なる語にあらず、つねに文脈の中にある語なり、ということだ」

                             『日本注釈学院青春記』より

2012年1月 5日 (木)

煙突文学全集015

 森田草平『煤煙』。

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 此寂かな夕暮の空に、彼方此方工場の煙突から幾條となく煤烟が立つ。遠いものは段々灰色にかすれて、靄と見分け難いのもあれば、近いものは盛に黒煙を上げる。

     *図版は、名取春仙『デモ画集』より。

 

    

2012年1月 2日 (月)

2012年の老猫

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