2016年8月28日 (日)

掃除に疲れる

◇全体の7割で、掃除とまる。いつものことだが、100パーセントまでいかない。書類は大胆に破棄した。雑誌類は思い切って決意したら、すべて捨てることとする。
◇上田敏『うづまき』の注釈を、今年度中に出すことにした。いろいろ考えたが、非売品、研究版で出すこととした。単行本を基準に、上段本文、下段注釈というページ構成。仲間が版下を作成してくれたので、細かい詰めをしてから、刊行に持っていきたい。

2016年8月27日 (土)

日記

◇書窓展に行っている人はいいなあ。かたづけかたづけ。
 かたづけが進まないことで、年をとったことを自覚する。

◇古本屋さんにちょっとした問い合わせをしてみる。

◇先日、出会った、高峰博『夢学』の装丁は杉浦非水であった。ボロボロであるが箱付きはありがたい。植物を大きく描くのは、『百合子』『渦巻』(渡辺霞亭)などにも共通した特徴である。図録『杉浦非水の眼と手』には箱の図がないので、載せておこう。修正再版である。

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2016年8月26日 (金)

日記

◇コラム11回目原稿校了。彩色南画を取り上げる。勉強量に比べると、記事に出る部分はごくわずかである。しかし、勉強してトレースしているがゆえに、必要な情報を的確に選択できる。微差ではあるが、新しい見方もさりげなく埋め込んでおく。

◇ある方が長くブログを書いていると知らず知らずのうちに謙虚さがなくなる、と述べていた。なるほどと思う。

◇本を片付ける。少しの作業で疲れてしまう。なんとかしないと、次の仕事にかかるとまた片付けられない。やはり、1,000冊単位で整理すべき時期に来ているようだ。

2016年8月25日 (木)

日記

外出で疲れる。
帰宅すると、三月書房さんより本が届いており、おまけの『波』8月号を読む。これを読むのは、おまけでもらった時だけだ。
高山なおみと堀部篤史の対談、高山の料理本を買うことにする。

小島慶子と安冨歩の対談。二人とも頑張る人だ。わたしはがんばる根拠を失っている。

木皿泉の連載。「カゲロボ日記」。栗原康の来訪があったと。大杉伝は買ったはずだが、埋もれてしまつている。野枝伝も買いに行こう。

ページを繰っていくと、巻末の広告ページにいたり、「なぜジブリは勝ち続けるのか?」という惹句があって、激しい拒絶反応が起きる。「勝ち続けるのか?」だって? 今時、よくそんな発想ができるな、と嫌悪がふつふつとわいてきた。

文庫で小山田浩子の『穴』が出るようだ。

2016年8月24日 (水)

漱石は小品が第一

 松岡譲の河出文庫版『夏目漱石』が、何度も読むうちに、背中が断裂してしまったので、一応修理はしたが、同内容で、「第二章 作品の性格」が付いている『漱石 人とその文学』(昭和17年6月、潮文閣)を買い求めた。
 これも、紙質が悪いが、写真は貴重なものが多く、それほど印刷は劣悪ではない。たとえば、漱石蔵の良寛の書と、漱石自身の筆跡が比較できるように図版が並んでいる。
 初めて読む「第二章 作品の性格」に「心境の芸術」という節があり、次のような興味深い記述が見られる。


 心の芸術家漱石には終始一貫心の故郷があつた。小品の世界がこれだ。静かに澄んで、いかにも高品な潤ひがあり、千年来の日本文学の奥ゆかしい伝統の味ひを伝へて、しかもそれを次々と新らしく、生かして居る。

 『永日小品』『思ひ出す事など』『硝子戸の中』『ケーベル先生』などが挙げられている。松岡は、小説は時代に左右されるが、小品という「心境の芸術」は、不易の美によって人の心に訴えるという趣旨のことを述べている。

2016年8月23日 (火)

教科書名短編

 買い置いていた、中公文庫版『教科書名短編』の「少年時代」篇と「人間の情景」篇とをパラパラ読む。中学教科書に採択された短編小説のアンソロジー。
 竹西寛子「神馬(じんめ)」は、ちょっとカフカ的。しかし、この人は格調はある。高校教科書に採られている「兵隊宿」は好きである。
 「人間の情景」篇に収録の、菊池寛の「形」や、吉村昭の「前野良沢」を読んで、倫理的、道徳的に教える先生が多いのだろうな、と思う。でも、それは間違いではないか。「形」は、短編小説の構造という、倫理以前の事柄が大事なのでは。
 それから、「前野良沢」における杉田玄白は悪人なのではない。時代の推移の中で変わる倫理に同調する人が悪というわけではないのだ。
 各篇の目次は次の通り。


少年時代篇
【目次】
少年の日の思い出/ヘルマン・ヘッセ(高橋健二訳)
胡桃割り/永井龍男
晩夏/井上靖
子どもたち/長谷川四郎
サアカスの馬/安岡章太郎
童謡/吉行淳之介
神馬/竹西寛子
夏の葬列/山川方夫
盆土産/三浦哲郎
幼年時代/柏原兵三
あこがれ/阿部昭
故郷/魯迅(竹内好訳)

人間の情景篇
【目次】
無名の人/司馬遼太郎
ある情熱/司馬遼太郎
最後の一句/森鴎外
高瀬舟/森鴎外
鼓くらべ/山本周五郎
内蔵允留守/山本周五郎
形/菊池寛
信念/武田泰淳
ヴェロニカ/遠藤周作
前野良沢/吉村昭
赤帯の話/梅崎春生
凧になったお母さん/野坂昭如


 
 文庫版の類書として、佐藤雅彦編『教科書に載った小説』(ポプラ文庫)、小川義男監修『二時間目国語』(宝島社文庫)がある。

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2016年8月21日 (日)

思うこと

 当ブログの記事数は1020を超え、発表していないものが10記事ほどあるが、2010年9月開始から6年たった。
 ある事情があって、2014年には停止を考えたが、月映(つくはえ)展が開催されるなど、気持ちが動くことがあったので、自分の関心に近いことを取り上げて、続けていくことにした。
 もう少し早く始めておけばよかったと思うことがある。
 日記のような記事が最近は多いが、当初の趣旨の通り、文学と美術の関連領域についての研究ノートという基本性格は変わっていない。
 時折、限られた生活の中に立てこもりたいというような衝動が起きるが、型にとらわれず、続けられるうちは続けていこうと思う。
 沈黙の世界に吸収される可能性は、それこそたくさんある。いつの時代もそうした沈黙は、表に現れることがない。そのことはどこかで心に留めておこう、と思う。

2016年8月20日 (土)

本の壁

◇コラム、10回目校正終わる。最初に15回はどうですか、と言われて目次案を考えたが、しっかりできそうなのは、12回ということで、結果的にはそれでよかった。
 週一掲載(新聞によって進度は色々)で3回リードしていたが、2回になった。
 常時、数百冊の資料の壁に囲まれている。積むと、下の資料が取れない。倒壊もする。
 編集担当の記者がいてくれて助かる。「記事を記す」は重言的と指摘された。確かにそうだ。
 誰かが、編集者的役割を欠いたSNSでの発言は、穴が多いと言っていたが、当たっている。
 拙ブログも今の感じなら、ツイッターに移行した方が、よいかもしれないと思いつつ、踏み切れない。私的メディアでは、自分が自分の編集を心がけるしかない。
 
 あと2回となったが、11回目は、南画の勉強をしないといけない。12回目ラストは、書くことが決まっている。昨日紹介した「渋柿」44号掲載の文章に一つ使えるものがあった。
 「渋柿」の表紙は、漱石の《蔦這へる壁》で石版五度刷と目次にあるが、もったいなくてグラシン紙を剥がせない。
 子規と漱石をつなげる線はよく知られているが、寅彦、東洋城の線はそれとは違う。

◇9月1日から、梅田ルクアの蔦屋書店で古書市があるそうな。
 もう一つ、情報があったのだが、検索しても出てこない。すぐ、メモ帳に落としておけばよかった。確かに、メモ帳はEvernoteの代わりになる。
 

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2016年8月19日 (金)

俳誌「渋柿」44号

「渋柿」は、松根東洋城が主宰する俳句雑誌。44号は、漱石の一周忌に合わせて、ほぼ全冊を特集に当てている。
 江口渙の回想に、宮内省の金筋入りの服で、漱石の葬儀の進行役をつとめた東洋城に俗臭を感じたという趣旨の記述があったと記憶する。
 母は、宇和島藩主の娘で、父は家老。自らは宮内省の官吏となった。
 「渋柿」の一周忌特集については、柴田宵曲のエッセイで知った。
 たまたま手にすることがあって、その内容の充実ぶりに感心した。東洋城こと、松根豊次郎は松山中学時代の教え子で、漱石が俳句の唯一の師だと述べている。
 この特集を読んで、俳句という線上での漱石の位置については、あまり考えていなかったので、たいへん参考になった。
 江口の世代からは、東洋城は、古株の門弟であり、毛並みも良く、しかも小説家ではなく俳人であったため、よく思われなかったということもあるだろう。
 しかし、「渋柿」44号の懇切な編集ぶりを見れば、東洋城の漱石への傾倒がいかに深いものであったかがよくわかる。
 遺影は、例のよく知られた写真であるが、コロタイプ印刷であるため、奥行きが感じられ、つい見入ってしまった。

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 寺田藪柑子(寅彦)が「思ひ出るまゝ」という題で寄稿している、追悼の歌を幾首か引いておこう。


金縁の老眼鏡をつくらせて初めてかけし其時の顔
杉の香を籠めたる酒ぞ飲めと云ひて醉ひたる吾を笑ひし先生
先生と対ひてあれば腹立たしき世とも思はず小春の日向

 江口渙は「御霊前へ」という頁に、「この忌日庭の木賊の枯色も」という句を寄せている。

 

2016年8月18日 (木)

さて、これから

 午前中にコラムの10回目原稿を送る。
 すぐ11回目にかかろうとしたが、他にやっておくべきこともあるので、少し頭を転換することにした。
 
 ある必要のため、新田次郎の新潮文庫版『氷原・非情のブリザード』をMPに頼んでおいたが、来たのはボロボロ本。1円であったわけではない。
 あとで届いた、アウエルバッハの『ミメーシス』上下は「可」表示であったのに、新品に近い状態。いろいろあるなあ。『ミメーシス』を見ながら、江藤淳『作家は行動する』のタネ本ではないかとチラと思った。

 書類を記入し、新田次郎の1作品を読み、そのあと、玄関の片付けをすることにしよう。

 

2016年8月17日 (水)

今日の空

雲が多い。

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例年、この時期によく疲れが出る。
そういう人も多いのではないだろうか。

さすがに図書館は人が少ない。
文献は借りられていず、無事コピーがとれた。

2016年8月16日 (火)

天気待ち

昨日、墓参の帰りに雨が降り、しばらく待ったがやまなかった。

書店で見つけて、頭休めのつもりで購入したのが、野上照代『完本 天気待ち』(草思社文庫)。
黒澤明の19作品にかかわったスクリプターの回想記。旧刊2冊をまとめて再刊したもの。
エピソードがおもしろく、少しずつのつもりがついつい読み進めてしまう。
伊丹万作に手紙を出したことが、映画と関わるきっかけとなったという。
少年時代の伊丹十三と、京都で1年間暮らしたとある。その伊丹十三の回想もある。
著者は89歳。

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2016年8月14日 (日)

お盆休み

 一件、確認したいことがあるが、その本を置いている図書館は16日まで休み。
 17日に調べに行こう。

 講談社文庫版の『夏目漱石・美術批評』を熟読。陰里哲郎の解説と編集は、よくできている。
 ぺヴスナーの『美術アカデミーの歴史』抜き読み。これは高かった。19世紀に、公共の福祉論と、芸術の自由論の間で論争があったという。

 

2016年8月13日 (土)

大物が釣れた

 下鴨は、刺激が強すぎるので、しばらくご無沙汰していた、谷崎本がよく湧いてくる古本屋さんに行く。
 ここは値付けが、うーんと考え込んでしまう(つまり、買おうかどうしようか迷う価格帯)なので、考え込んで、結局、アールヌーヴォーの図案集(2冊で1800円)を選んだ。実はあと2冊、値の付いていないもので、気を引かれたのであるが、聞いてびっくりというのも困るし、あと一軒行きたかったので、また今度、ということにした。
 さて、レジで支払いしていると、脇に、菊判のでかい本が鎮座している。箱から出されていたので、その大胆なケシの花のデザインに目が吸い付き、次に『夢学』という書名に、頭が反応する。
 石橋臥波『夢』というのは持っていたことがあって、仕事(『明治大正小品選』)にも使った。
 しかし、高峰博という著者は知らない。
 後で調べると、国会デジコレには入っている。
 恐る恐る店主に値を聞いてみる。すると、妥当な(京都2回往復の交通費程度)答えが返ってきたので、即購入を決めた。
 装幀者はわからない。隅々まで読んでいないので、どこかに書いてあるかもしれない。
 インパクトのある装幀である。
 ざっと見たところ、トンデモ本ではないようである。
 国芳の色刷り木版(いわゆる後刷りであろうが)まで入っている。これは、この修正再版で加えられたもの。
 有文堂書店、大正6年6月初版、9月修正再版。

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 〈日本の古本屋〉では、4000円から20000円。ただし、錦絵の本物が入っているので、修正再版の方が得である。
 さて、800ページ以上のこの本が重く、即刻帰宅ということになった。

 石橋臥波の『夢』は、心理学者に進呈した。この本も勢いで買ってしまったので、どうしよう。
《付記》2016.8.26
『夢学』の装丁は、杉浦非水であった。図録で確認した。

2016年8月12日 (金)

8月に読む

伊藤桂一『悲しき戦記』正続2冊(昭和48年、52年、講談社文庫)。先日の阪神、古書ノ市で、800円。
「週刊新潮」に連載されていたとは、時代を感じる。

白旗を掲げてヤマメ釣りをして、最後は射殺される兵士。戦友の最後の望みをかなえるため、ヤシの実を取りに行って命を落とす兵士。

「零秒前」は感心した。狙撃された兵士の、幻覚の帰隊を描く。

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2016年8月10日 (水)

阪神夏の古書ノ市

昨年、一昨年といってすぐかえってしまったが、今年は新加入の店のせいか、必要で買おうと思っているものが、2冊も拾えた。
わたしの関心は人文、美術だが、けっこう充実している。
海外文学の翻訳も多かった。

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絵はがきは、アルトゥール・シュニッツラー。200円。

二番草取りもはたさず

 一昨日、少し距離のある散歩に出て、昨日は暑さに負けてしまった。
 
 本の整理をしていて、柴田宵曲の中公文庫版(小出昌洋編)『漱石覚え書』が出てきた。細かいところへの関心がおもしろく再読してしまう。
 『三重吉全作集』の背文字は、漱石なのか。

 もう一冊、松岡陽子マックレインの『漱石夫妻 愛のかたち』(朝日新書)が出てきたのでこれも読む。鏡子夫人悪妻説が出たのは、漱石没後、全集の好調な売れ行きによって、家が豊かになってからだとある。
 もう一つ、松岡譲は晩年に変化があったというが、筆子は激しいままだったと意見が対立していたとある。
 

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 コラム「漱石の画文共鳴」もあと少し。
 連載が終わったら、どういうコンセプトで臨んだかを書いておこうと思う。

2016年8月 8日 (月)

今日の青空

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2016年8月 7日 (日)

文献自然主義

 文献自然主義というのは、当方の自家製造語。
 昔、ある人が、その作家の証言だけで、作家論を組み立てているのを見た時、この文献自然主義という言葉を思いついた。文献が述べている事実について、無批判に受け取ることを言う。
 文献が限られている場合、無意識にこの文献自然主義におちいることがある。
 それを避けるためには、まず重出性に留意。同じことが複数の証言によって述べられ、複数性が担保できるかということ。
 次に相互性の問題。田中英夫氏の河本亀之助小伝では、竹久夢二画集の印税支払について、夢二側の証言だけでなく、部数を推定しつつ、他者の証言を拾いつつ、事情を推測している。特定の人物の証言のみを中心におくのではなく、相互性の視点にたって検証するという姿勢からは学ぶことが多い。
 証言の真実性の指標はどこに求めるか。
 星座の星の位置をコンステレーションというが、当該文献のドキュバース(総言説体系)内における位置測定が重要となる。比較、関連の糸を見出すこと。
 ただし、主観的思い込みが幻の糸を見つけることもある。
 視点の相互性の確保が、とりあえずは有効な措置であろう。

2016年8月 6日 (土)

本屋がなくなる

 勤務先への途上の川沿いにあった本屋が、全く異なる業種の店に改装の真っ最中であった。
 ある時、店が半分になり、次にもっと小さくなり、ついになくなった。
 地元本をショーケースに置いていて、最後に買ったのは、『海の本屋のはなし』であった。

2016年8月 5日 (金)

市中はものの

◇コラム原稿、苦戦。2焦点(話題二つ)で行こうとすると、800字ちょっとという字数が枷になる。1200字以上書いて削っていくのだが、削りすぎるとわかりにくくなる。キレが良く、スパッと意味が通じるような文章を模索するのだが、簡単にはいかない。

◇三重吉「千鳥」。ハイライトシーンは次のごとし。


「あしが一番あん」と章坊が着物を引っ抱えて飛びだすと、入れ違いに小母さんがはいってきて、シャツの上から着物を着せかけてくれる。
「さ、これをあげましょう」と下締《したじめ》を解く。それを結んで小暗い風呂場から出てくると、藤さんが赤い裏の羽織を披《ひろ》げて後へ廻る。
「そんなものを私に着せるのですか」
「でもほかにはないんですもの」と肩へかける。
「それでも洋服とは楽でがんしょうがの」と、初やが焜炉《こんろ》を煽《あお》ぎながらいう。羽織は黄八丈である。藤さんのだということは問わずとも別っている。
「着物が少し長いや。ほら、踵《かかと》がすっかり隠れる」と言うと、
「母さんのだもの」と炬燵《こたつ》から章坊が言う。
「小母さんはこんなに背が高いのかなあ」
「なんの、あなたが少し低うなりなんしたのいの。病気をしなんすもんじゃけに」と初やが冗談をいう。
「女は腰のところを下帯で紮《から》げて着るんですから」と言って、藤さんはそばから羽織の襟を直してくれる。
「なぜそうするんでしょう」
「みんなそうするんですわ。おや、羽織に紐がございませんわね」
「いいえけっこう」というと、初やが、
「まあ、お二人で仲のいいこと」と言いさま、きゅうにばたばたとはげしく煽ぎだす。
「まあ」と藤さんは赤い顔をしている。

 ここけっこうむずかしい。お藤さんが羽織を着せかけてくれる。主人公は、羽織はお藤さんのものと考えているが、羽織に紐がないことにお藤さんが驚くのはなぜだろう。
 《付記》2016.8.12 女物の羽織のひもは、着脱できるようになっていたのだろう。「千鳥」は、注釈演習に好適な題材である。

 虚子は、「山彦」も含めて、結構に不足あり、と評しているが、プロットの仕掛けを閉じないところがこの2作の特徴か。
 「山彦」は、旧家で謎の手紙を見つけ、墓地に行くと、27歳で亡くなっている女性たちの墓をいくつも見つける。まがまがしい暗示が、旧家にいる姉の運命にどう関わるのかははっきり書かれない。漱石は、ずっと寒天の中を進んでいくようでしんどいという趣旨のことを言っている。
 「千鳥」のお藤さんが島に来ている理由も明示されない。いまふうに推理すれば、夫の横暴から逃げてきたとかになるのか。
 のちに、三重吉は、プロットの輪を閉じるようになっていくが、それが良いかどうかは、微妙である。「黒髪」はうまくいっている。

暑し暑しと

 昨日は終日、資料読みだった。鈴木三重吉は酒癖が悪かったようだ。以前も指摘したことがあるのだけれど、小説の断筆をするまでは、三重吉は、様々な小説の手法を試みている。書簡体で、別れた女に語りかけているうちに、また好きな気持ちが再びわきあがってくる作品など、語りのライブを取り入れていておもしろい。
 
 ちくま文庫版、高田里惠子『文学部をめぐる病い」を抜き読み。これは、『こころ』批判になっている。人文学のダークサイドの研究ということになるのか。

 谷沢永一『書誌学的思考』を、これも拾い読みしながら、(今頃読んでいるのかと言われそうだが)結局、書誌学と哲学は連結せざるをえない部分があるということに思い当たる。

2016年8月 3日 (水)

天三散歩

こもって仕事をしていると、息苦しくなってきたので、天三に足を延ばす。

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矢野書店と天牛書店。他2店は主人不在。
天牛の50円均一で、『こいつらが日本語をダメにした』(ちくま文庫)と、小宮豊隆『漱石 寅彦 三重吉』(角川文庫)をひろう。
後者は、あるはずだが、見失っていたので、ありがたい。
三重吉は自分で花魁憂い式と言っていた、とある。そりゃあ、そんなこと言っていると、先生は維新の志士みたいな文学って言いたくなるだろう。
それより、「千鳥」は、花魁憂い式ではないし、自己認識がまちがっている。

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そしてついに、『書誌学的思考』を購入した。
矢野書店では、種村の軽エッセイ集をかう。

人は過ぎ、書物は残る

 残ると言っても、ほんの少しの間かもしれないが。
 買い置いてまぎれていた、ちくま文庫版、林望『増補書藪巡歴』が出てきた。
 内容に関心がないゆかりのものがこれ面白いと読んでいたのを思い出す。

 そうか、この人は、書誌学者だったのか。
 「転機」という自伝的文章は、世代が近いせいか、こちらにも思いあたることがたくさんある。
 と言っても、著者ほどわたしは優秀ではない。

 「活きた目録」が大事。つまり判断する目を持って作成された目録しか意味がない、というのは谷沢永一と共通する認識だ。

 書誌学は、マラルメ的な世界を尽くす一冊の本を目指すのではなく、その対極のありふれた本を見つめるところから始まる。
 
 

 

2016年8月 1日 (月)

感想一束

○ある馬の絵があって、旅を暗示していると思いつつ、その根拠について考えていると、とつぜん思い当たる。芭蕉の『奥の細道』だ。「月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也 、舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老をむかふる物は日々旅にして旅を栖とす」が念頭にあるのか。
 古典に弱いので、すぐピンとこなくてはいけない、と反省。
○トンカさんの棚で購入した、由良『読書狂言綺語抄』の3分の1ほどは『みみずく偏書記』には入っているのだった。やれやれ。
○ユイスマンスの『彼方』を、必要あって読み返す。よくできている。『さかしま』は、上田敏がかなり早くに言及しているが、『彼方』はどうなのだろう。これは、バタイユの『エロティシズム』の先取りを含むのではないか。
 また、近代日本の悪魔主義の典拠の一つではないのか。
 創元推理文庫版はもう絶版なのかと思ったら、カバーの絵柄が変わってまだ出ている。こういう学者小説は、もっと試みられてもいい。
○本を整理していると、つい読んでしまい、発見があったりする。

2016年7月30日 (土)

地獄を読む

 高橋睦郎『地獄を読む』(昭和52年、駸々堂出版)。
 装幀は、横尾忠則。箱入りクロス装で、しっかりしている。

 1970年代は、こうした、今から見ると過剰とも見える工夫を凝らした装幀の本が多かった。定価は、2800円。当時なら、買えずに指をくわえて見ていただろう。

 地獄の本をたくさん読むが、アカデミズム内部の本は、どうしても肩が張ってくる。
 優れた批評家の本の方が、そのテーマについて展望を得やすいのではないかと思って入手した。

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 「はじめに」に、闇市に出現した「地獄屋」のことが出ている。地獄絵を広げて絵解きをしたそうな。
 

2016年7月29日 (金)

トンカ書店にのせられて

 サンチカ覗いてみる。
 天三の矢野書店や天牛書店をうろついている身からは、神戸はちょっと強気の値段だな、といつも思う。天三がむちゃくちゃ安いというわけではなく、メリハリがあるのだが、やっぱりちょっと考えてしまう。
 古書市というのは、お祭りなんで、ふだんより安く、というわけにはいかないのだろうが…。

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 トンカ書店の棚、由良君美『読書狂言綺語抄』、元値であったが、買ってしまう。
 これは未読だったので。「洋物派・柳田国男」を立ち読みして、びっくりして、かごに入れた。
 『不幸なる芸術・笑の本願』は、ワイルドの「嘘言の衰頽」の焼き直しだ、という。

 折口信夫も洋物派ではないか。話型分析は、明らかに昔話分類の影響を受けている。
 ジェーン・エレン・ハリソンの『テミス』を読んでいたというし。
 検索して驚いたのは、この『テミス』がネットで読めるのである。ここ

 ネットで、ただの情報ばかり見ていていいのか、というような議論は一面的だとわかる。
 時間のある人は、折口の発想と比べてみるといいでしょう。

 今日は、3周ほどして、ていねいに見た。
 あと、『東京迷宮考 種村季弘対談集』、これは安かった。頭休め用。寺山との対談が入っている。
 

2016年7月28日 (木)

『月に吠えらんねえ 5』

 油断していたら、5巻がとっくに発売されていた。
 清家雪子『月に吠えらんねえ5』(2016年5月)、カバーデザイン、芥陽子。

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 今度の中表紙は、すぐわからなかった。ああ、『新体詩抄』ではないか。

 読むのに、1時間以上かかった。

 「白」と「朔」のクィアな関係が縦糸であることはわかる。そこはなかなか踏み込んでいる。特に前半。(ページを示そうとしたら、ページナンバーがない。コミックはみんなそうなのか?)

 もう一つは、「白」の戦争詩の問題。

 先日、山岸外史の『人間太宰治』を必要あって読んだ。
 山岸と太宰もクィアな関係にあり、山岸は太宰に対する自分の微妙な意識に気がついている。
 太宰はなぜか、肩先に毛が生えていて、それに山岸が触ると太宰は激怒する。
 また、ある時、山岸は自分の太宰との関係が恋愛関係と似ていると思う。
 絶交の原因は、そこにあったのかもしれない。

 

2016年7月27日 (水)

ジェイ・ルービン先生の講演会

 ジェイ・ルービン先生の講演会・トークセッションが秋に、京都学園大学の記念行事として開催されるようだ。少し早いが、HPには情報が出ている。11月19日。申し込みが必要なようだ。

 シンポジウム 「村上春樹を英訳する」の情報はここ

 なお、ルービン先生は、日本語でエッセイ集を出版される予定、と聞いている。楽しみである。

2016年7月25日 (月)

グロテスクその他

◇『不折俳画』の序文で、漱石が、俳画は「グロテスク」にあたると書いていて、どうしてだろうと思い、カイザーや、シャステルの本を調べると、漱石が、西洋の美学史の勉強をしていることがわかった。

◇松岡譲の漱石論はどれも均衡がとれていて、いろいろ参考になる。

◇最近、ずっと漱石関連のものをずっと読んできて、自分が20代後半に読んでいちばん感銘を受けたのが、「思ひ出す事など」であることを思い出した。周知のように、修善寺の大患前後を書き綴った文章だ。
 言葉の一つ一つがあるべき場所にきちんと、はめ込まれているような、綿密な文体。
 読み直してみて、職務として看護に当たっているとしても、そのことにやはり感謝したい、というようなところに感動したのかというとそうではなかった。
 今、書いてしまうのはやめておくが、20代の自分と、今の自分が、この文章をなかだちにして出会ったような感じがある。