2016年9月27日 (火)

「絵ばなし」に反応

◇今日の道。まだ、蒸し暑く、疲れる。

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◇「絵ばなし世間学」、『キング』昭和10年新年号付録。ワンコインでお釣りがくる。
 「絵入り」とか「絵語り」とかあると、反応する。
 目次に寄稿者、挿絵画家の一覧が出ているので、この時代の様相がわかる。本絵と兼業の画家は少なくなっている。田中良、河野通勢、細木原青起など。
 装幀は、西澤笛畝、鳥羽僧正に倣う、とある。
 金属版で写真転写のものも多い。

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◇「うづまき」注釈版下と格闘。先日は散歩服に手こずる。

2016年9月23日 (金)

ザ・ステューディオ

◇頼んでいて、忘れていた洋書が届いた。The Birth of The Studio 1893-1895,Baron Publishing
カードが入っていて、他のシリーズもあるというので検索にかけてみるが、上がってこない。残念だ! 他のシリーズが欲しい。
 1500円くらいだったので、どんな本かと思っていたが、記事や図版の再録ではないか。値段としては大当たりだ。
 漱石先生は定期購読していたのだったよね。
 じつは、ザ・ステューディオには復刻版があったはず。でも、読みに行くのは結構、たいへんなのだ。何冊かオリジナルも買った記憶があるが、大事にしまいすぎて出てこない。
 ヴォイジー(Charles Voysey)という建築家・デザイナーが気になる。

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2016年9月22日 (木)

日録

◇仕事先の整理に行く。時間がかかるが、机上が姿を現す。疲れた。

◇先日、閉店したと伝えた書店がまだやっているようなので、確認してきちんと伝えることとする。

◇整理していると、水村美苗『続明暗』の新潮文庫版が見つかる。平成5年刊である。
挟み込み広告も時代を感じる。

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私が好きなのは、双葉文庫の南伸坊のイラストの挟み込みである。今も彼のイラストかどうかは知らないが、コピーは一番、穏当である。最近のは、「読書はココロの身だしなみ」。

2016年9月20日 (火)

元禄模様のことなど

◇台風のせいもあり、上田敏「うづまき」版下と格闘。江戸と明治の連続性を信じるところが敏先生の特徴。明治の中の江戸について考えているうちに、啄木のことを思い出す。
 石川啄木の「時代閉塞の現状」に次のような元禄回顧の風潮に対する批判が出ている。

そうしてまた我々の一部は、「未来」を奪われたる現状に対して、不思議なる方法によってその敬意と服従とを表している。元禄時代に対する回顧《かいこ》がそれである。見よ、彼らの亡国的感情が、その祖先が一度遭遇《そうぐう》した時代閉塞の状態に対する同感と思慕とによって、いかに遺憾《いかん》なくその美しさを発揮しているかを。
 かくて今や我々青年は、この自滅の状態から脱出するために、ついにその「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。それは我々の希望やないしその他の理由によるのではない、じつに必至である。我々はいっせいに起ってまずこの時代閉塞《へいそく》の現状に宣戦しなければならぬ。自然主義を捨て、盲目的反抗と元禄の回顧とを罷《や》めて全精神を明日の考察——我々自身の時代に対する組織的考察に傾注《けいちゅう》しなければならぬのである。

 *引用は青空文庫のものを使用した。
 前田恭二の大冊『絵のように 明治文学と美術』(白水社)の「第十章 元禄模様太平記」を読むと、いろんなことがわかる。
 三井呉服店(三越)の高橋義雄という人物が、仕掛け人で、岡田三郎助らの画家たちを巻きこみながら、元禄模様を流行させることで消費戦略を遂行したことがわかる。
 前田氏は、漱石の『虞美人草』と『三四郎』に触れておもしろい指摘をしている。一つは、虞美人草浴衣が売り出されたが、ヒロイン藤尾が死んで、結果的にそのことは、流行に冷水を浴びせることになったのではないかということ。
 もう一つは、『三四郎』の美禰子の絵の着物は、元禄模様であったに違いないという指摘である。アトリエでモデルをつとめる美禰子を三四郎は見物するが、元禄模様のの着物がかかっている。画家原口は美禰子が単衣、すなわち元禄模様の着物を着てくれないと嘆いている。
 もし美禰子が元禄模様の着物を着れば、三越の広告戦略と同じになるわけで、着ないことに、そこへの抵抗が見て取れるというわけである。
 元禄風の女性を消費アイコンとして印象付けたのは、岡田三郎助の《むらさきしらべ》(1909年)で、東京勧業博覧会の一等入選作であるが、その後、三越の広告ポスターとなった。モデルは、高橋義雄夫人であり、夫人は若死にしたが、アイコンとして長く人々の記憶に残ったという。
 美術と看板絵が近接していたのである。
 さて、ここからは私が気になったこと。美禰子は三四郎に自分は、「高等モデル」だというところがある。このモデルは、画家のモデルのことを言うが、当時、美大学生を目当てに、モデル派遣業が始められ、モデルとなった女性たちは裕福ではなかった。そのことを美禰子は認識した上で「高等モデル」と言っている。
 三越の広告戦略は、芸妓を使わなかった点で新しく、元禄模様、素人モデルの連想が、美禰子の「高等モデル」という発言の背後にはあったかもしれないということである。鴫沢宮における美貌の商品化と同じ問題が、三越の広告にはあったのである。
 さて、こうして書いてくると、石川啄木は、そうした消費資本主義の広告戦略と「元禄」回顧が関連していることをどこまで認識していたのか、ということが気にかかる。三越も「敵」のうちに入るのか、残された文章からは判断がつかないが。(木股知史)

◇「うづまき」四まで、終わる。

2016年9月19日 (月)

上田敏『うづまき』注釈

◇仲間が準備してくれた原稿版下に手を入れるが、なかなか進まない。
 語注だけではなく、文脈注を入れるところが工夫である。
 文脈注の考え方については過去記事《旧稿より②》に掲げた「『それから』の「古版の浮世絵」について」を参照されたい。
 また、「日本文学」57(1), 68-75, 2008-01-10掲載の「ハイパーテクストと文学研究」も参照されたい。これは、ここで、ダウンロード可能である。まだまだ不十分かもしれないが、作品研究とは、注釈を拡張することであり、作家、作品を中心におくよりは、文学事象そのものを対象とする方が良いという考えは変わらない。
 版下紙面を1ページ分、紹介しておこう。中心となってくれている人がいるが、共同作業でもある。

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◇『彼岸過迄』の蛇頭ステッキを考えるために、ステッキの洋書を注文。ストーリーの連鎖と、イメージの連鎖を、2ラインで進める物語だと考えると、蛇頭ステッキは、イメージの連鎖に関わる重要要素である。(木股知史)

2016年9月18日 (日)

最近のイメージ関連書籍

◇最近のイメージ関連本を紹介しよう。

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①中島国彦・長島裕子『漱石の愛した絵はがき』(2016年、岩波書店)
 そんなたいしたことないのではないかと、思っていたが、購入してみるとこれがなかなか面白い。漱石はもらった手紙、はがきなどはあまり保存しなかったというが、絵はがきは、まとまって残っていたことが、松岡譲によって伝えられている。
 今回、岩波書店に保存されていた漱石宛絵はがき312通のうち約3分の1が、図版、翻刻とともに紹介された。漱石を一つのドットとすれば、そのドットにかかわるいろんな世代、いろんな経歴の人々のネットワークが再現されて、漱石の教養の輪郭について再認識できる。
 私は、野間真綱や、橋口貢とのやりとりがおもしろかった。双方向のやりとりが復元できるからである。
 一高、帝大の教員だったので「先生」と呼ばれるのは当たり前だろうが、「小説家の先生」という意味合いはあったのかどうか。「漱石様」と書いているのもある。
 という具合にいろいろ考えることができる。
 11月まで開催される、日本近代文学館の「漱石ー絵はがきの小宇宙」展の図録を兼ねているのだろう。
 小さなことだが、「漱石の」ではなく「漱石が」の方がいいのではないか。「の」としたのは、絵はがきに重点を置くためだろうか?

②オノヨーコ『どんぐり』(2015年、河出書房新社)
 これは1年前に出ていた。『グレープフルーツ』の仕立て直しと思い込んでいたのだが、そうではなく、新しく書かれたもの。点画が添えられている。
 イメージと言葉の関連を考える時の材料として購入した。

③『村上春樹とイラストレーター』(2016年、ナナロク社)
 佐々木マキ、大橋歩、和田誠、安西水丸の4人のイラステレーターが村上作品に寄せたイラストの概要を示す。制作プロセスが公開されているものもあり、イメージと言葉の関連を考える材料として購入した。

④石川桂子編『竹久夢二詩画集』(2016年、岩波文庫)
 詩115編を、セレクトされた挿絵とともに収録。また、エッセイも収録。あちこち探しまわらなくとも、重要な文章が収められているので便利である。
 田中恭吉もこうした文庫があればなあ、と思う。

⑤松本清張『松本清張ジャンル別作品集❸美術ミステリ』(2016年、双葉文庫)
 こうした切り口で来られると買ってしまう。「真贋の森」はじめ4編収録。
 解説の郷原宏によると、清張は「日本における美術ミステリの大成者」だという。

◇あと、難波知子の『近代日本学校制服図録』が出ていた。これは素晴らしい。お金が尽きて買えなかった。

2016年9月17日 (土)

町家古本 はんのき

 昨日は、調査を少し早めに切りあげて、前から気になっていた、町家古本はんのきを訪ねることにした。

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 バスを大将軍でおり、12分ほど歩く。表通りに面しているという先入観があってすぐそばについてから5分以上迷った。表示とかはなく、路地のちょっと奥にあるので、これから行く人は注意しよう。玄関には小さな札があったと思う。
 普通の家が古本屋になっているのは、美術館近くの山崎書店もそうである。
 さて、近藤ようこの日本文芸社版の初期作品集を二冊。箱入りで、カバーがかかり、クロス装であるので、デビュー当時から大事に扱われているという感じがする。もう一冊、所持しているが、『妖霊星』も買っておく。近藤先生、会社勤めができそうにないので漫画家になったというが、おまけ対談(林静一)の写真では、事務能力もありそうな感じがする。
 あと文庫を数冊。荒俣宏編『異彩天才伝』(伊藤晴雨伝が入っている)など。

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 京都は大都市である。私は、函館か松山くらいのサイズの都市が好きである。京都は、複数の目的地を訪ねるとなると、移動がたいへんで、特にバスは時間がかかるので要注意である。
 

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2016年9月16日 (金)

『逢沢りく』下巻

◇車中で、ほしよりこ『逢沢りく』下巻、読了。涙は出んかったけど、カタルシスはあった。病気の子供と心の固い少女の取り合わせなんか、『秘密の花園』の黄金パターンや。まあ、筋は予測できるんやけど、細部の工夫があるところがええ。全力疾走の女=かぐや姫とか、マーニーとかいろいろ入っているんやけど、母親が娘の制服着るとこなんかようできてる。
 ちょっと文句も言うとくと、男たちのキャラがみんな濁りが無いんや。ある意味で、物語に男はいらんゆうことかもしれんな。男の濁りみたいなこと書いたかて、誰も喜ばんもなあ。
 それから、作者は40代、20代以下の読者がどれくらいあるかどうか、そこも気になるわ。もしかして、おじさん向けの物語なんかもしれん。

◇今日の空

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2016年9月15日 (木)

日録

◇所用で天王寺。ずいぶん変わった。古書サロン天地は移転していた。調べておけばよかった。

◇喜久屋書店があったので、岩波文庫版の『思い出す事など』を買う。漢詩の読み下しが注についている。

◇文庫版『逢沢りく』上巻読了。いわゆる〈母の娘〉問題か。太田豊太郎や長井代助に発する二ルアドミラリ(不感無覚)は、平成女子に達した。
むかし、すばる文学賞をとった『宙の家』という小説を思い出した。高層階マンションで生まれ育った女子が、地面をきらう話だったと思う。
下巻は明日電車で読もう。

◇、明後日土曜、コラム『漱石の画文共鳴』、神戸新聞夕刊は12回目、最終回。テーマは則天去私。

2016年9月14日 (水)

『邦助画集』研究ノート

 橋本邦助(はしもと・ほうすけ)。略歴は、東文研のアーカイブデータベースに『日本美術年鑑』昭和29年版(155頁) の引用が出ている。
 第1回文展から5年連続で入選し、1回(明治40年)から3回(明治42年)まで3等賞を受けている。
 年鑑記述によると、「欧州に二度外遊している。主観的な表現をさけその外面的描写技術は当時としては非常に秀れた作家であつたが、対象の内部まで入ろうとする力には欠けていた。明治40年第1回文展から続けて3度入賞し、その後も官展に出品を続けていたが、近年は振わなかつた。」とある。
 さて、『邦助画集』(明治44年2月、画報社)は国会図書館のデジコレに出ているが、画質については、そんなによくないので、関心ある方は確認されたい。

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 本画(油彩画、日本画)と副業としての挿絵・コマ絵という形は、渡辺与平にも見られるし、その妻渡辺(のち、亀高姓)文子もレーキ化粧品の宣伝画を描いた。明治42年、洛陽堂刊行の『夢二画集 春の巻』が、新聞雑誌掲載のコマ絵をまとめて出版した事例だが、俳画系統、漫画系統に先行事例がある。拙著『画文共鳴』(2008年、岩波書店)を参照されたい。
 コマ絵のみを集めたものとしては、夢二のものがシリーズ化したように出版されるが、木版の質自体はそんなによくない。渡辺与平の『ヨヘイ画集』(明治43年12月、文栄閣書店・春秋社書店)が、編集の工夫(自分が落選した文展の通知を挟み込むなど)もあり、木版の刷りも落ち着いていて、見るべきものがある。
 *過去記事 《ヨヘイ、文展に落選する?
 橋本邦助については、新聞を調査していると、「邦」のサインが入ったコマ絵をよく見た記憶がある。『スケッチ画集』にも「邦」のサインがあったと思う。
 版元の画報社は、NDLで検索してみると、三宅克己『欧州絵行脚』(明治44年)など、美術関連書を出していることがわかる。
 『邦助画集』には、序が付いていて、橋本邦助は次のように記している。

曽て、此の集の絵の別々に、新聞或は雑誌に掲載したる時に於ても、自分の絵の拙さを恥ぢた。
それを斯く集めて再び世に出すのは、更に恥を重ぬるやうで甚だ心苦しいが、出版上の利益で、少しにても仏国遊学の費用を補はむ為めに外ならぬ。
明治四十三年四月九日朝
橋本邦助

 画集刊行の目的を、フランス留学の費用の足しにするためとはっきり書いている。
 画家の留学の資金調達については、挿絵描きなどの副業を生かす事例はあり、中村不折は、フランス留学の費用を、博文館と冨山房の仕事を引き受けて朝から晩まではたらいて貯蓄したと書いている(『僕の歩いた道 自伝』平成28年6月、台東区立書道博物館編)。明治32年にはだいたい費用が整ったという。それまでにも不折は、『小日本』でいろんな挿絵を試み、「新聞絵」の元祖は自分だと自負している(前掲書)。
 さて、邦助のコマ絵が私の記憶に残っているのは、その客観性による。夢二は周知の通り、抒情的画面を構成するために、画面を選択している可能性があり、それが人気の元ともなったのであるが、橋本邦助は、事象を客観的に捉えているので、報道的な価値を感じるのである。
 例えば、明治40年代には、生ビールが販売されていたとか、ミルクセーキが10銭であったとかいうことが描きとめられている。

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 また、木版の彫りについても、中間トーンの表現や、キアロスクーロの工夫が見られる。彫刻家(彫師)に任せきりにせずに、ある程度の指示を出したものと推測できる。
 版の大きなものは、「読売新聞」の日曜附録掲載のものではないか。
 職の様々や、都市風景のスケッチは素朴だが、スナップ写真のようで、明治の風景をしっかり切り取っている。(木股知史)

2016年9月13日 (火)

文庫櫂をたずねる

◇窓と網戸の拭き掃除。早く終えて図書館に行くつもりが、時間がかかってしまう。
◇予定を変更し、開店していることを確認してから、文庫櫂に向かう。尼崎乗り換え、南森町から折り返す。恵美須町なんて何年ぶりか。愛染橋病院のはす向かいですぐわかった。
すごい空間である。勉強になった。伊東深水の『美人画の描き方』とあと一冊。深水のは探していたのだ。
◇道具屋筋に越した天地書房に。川端龍子、鶴田吾郎の『華厳』を買う。
千日前ジュンクのあとは、ドンキホーテがはいっていた。
◇わんだーらんどに足を延ばす。文庫版『逢沢りく』と、近藤ようこを2冊。

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2016年9月12日 (月)

萩の花

◇法事の帰りに萩の花を見つけた。

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◇天満で下車して、天満宮前まで、流すことに。

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『邦助画集』は、橋本邦助のコマ絵集。夢二画集の後追い。
安かった。見つけようなんて思っていないと、おもしろいものが目に触れるものだ。

2016年9月11日 (日)

日記

◇岩波の漱石没後100年企画で、近藤ようこの『夢十夜』が連載されている。ここ
 今なら第3夜が読める。紙媒体と違って、ウェブで読むと、いっそうコマ運びの特徴と流露感がはっきりわかる。
 近藤ようこを読んだことがない人は、ちくま文庫版『水鏡綺譚』をすすめたい。これが気に入れば、何を読んでも大丈夫。アックスのインタビューでは、いつもちょっとだけ世の中より早いと発言されていたが、社会性があって、物語性もあって、古びないで普遍性が保たれているのは、ほんとうに見事である。35年間の追っかけ読者が言うのだから、間違いない。

◇小さなことを片付けて、大きなことに取り掛かろうとして、それが運ばずに日が暮れていくようではいけない。

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2016年9月10日 (土)

雑録

◇礼状を、2.3書いて、J堂に出かける。老眼で岩波文庫版の文字がきつくなってきたので、集英社文庫の漱石コレクションの『行人』と『道草』を求める。『彼岸過迄』が読みやすかったので、後期作を揃えてみた。
新潮文庫が文字はいちばん見やすいのだが、今回は敬遠することに。
◇さて、『彼岸過迄』は、よかった。大人の小説やないですか、という感じ。
須永は、父の不倫の子であるというのに、須永の母が千代子との婚姻にこだわる理由がわかりにくい。縁をつないでおきたいということなのか。
イメージを取り出すなら、森本の持ち物である、蛇頭の竹ステッキだろう。アールヌーヴォーであるかどうか調べてみよう。ウィーン分離派などにありそうだが。ミュシャの宝石デザインで、蛇があった。
◇芸術新潮が長谷川町子特集。束芋が出ているが、女性姉妹の1人。美しい人である。
◇J堂のレジは今日は行列ができている。佐伯泰英はすごく売れている。
◇本を整理しながら、少しずつ読むと、読書傾向が広がっておもしろい。ただ、本筋の仕事が滞るのだが。
 小林信彦の『回想の江戸川乱歩』を見ていると、64歳の乱歩には、小林側の若い感覚がなかなかわかってもらえない、という記述が繰り返されている。わたしが、若い世代と仕事すると、同じように思われることもあるのか、と思う。あるところで、木内昇の、母が上京してくる短編がよいと推薦したら、推したのはわたしだけであったりする。
〔付記.2016.9.12〕少し説明しておくと、木内の作品は、「てのひら」という短編で、新潮文庫の『日本文学100年の名作 第10巻 バタフライ和文タイプ事務所』にも収録されている。わたしは、徳間文庫の年刊アンソロジーで初読、いいと思った。たまにやってきた母親との感情のすれ違いというのは、もはや普遍的なモチーフにならないということなのか。
◇「櫂」という古本屋さんにいってみよう。

2016年9月 9日 (金)

坂本繁二郎と三木露風

 三木露風というと、情調派、つまり、感傷的抒情と先入見で捉えられがちだが、イメージの自立を目指した詩もある。このことは、『近代日本の象徴主義』(2004年、おうふう)の「1−11 内部の自然 三木露風」で書いたことがある。
 「情調派」として露風を批判した富永太郎の「秋の悲嘆」の「かの女の髪の中に挿し入つた私の指は、昔私の心の支へであつた」という一節に先駆けて、三木露風の「指」という詩には「汝が髪の優しき中にわが指の╱わけ入りゆくはうらがなし」という一節がある。
 また、坂本繁二郎による『白き手の猟人』(大正2年)の装幀と挿絵は「心そのものにかたちを与えようとする詩の世界に調和している」と指摘した。
 坂本繁二郎は油彩画では、モダニズムを拒んでいるが、挿絵・装幀では先端的なデザインを試行しているのである。その多面性が面白い。『白き手の猟人』の挿絵は、ある意味で、『月に吠える』を想起させる抽象度を保っている。
 『大正イマジュリィの世界』(2010年、ピエ・ブックス)には、「坂本繁二郎」の章があり、熊田司氏が、いろいろ面白い指摘をしている。
 『白き手の猟人』の表紙画は、交差する2葉の病葉(わくらば)である。このデザインは、河出書房の『日本現代詩大系』の表紙に踏襲されていたと記憶する。

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 病葉の表象について、熊田氏は次のように指摘している。

三木露風の詩集において、坂本繁二郎の表紙、口絵は重要な意味を持っている。とりわけ、『詩集 白き手の猟人』表紙における傷ついた心の表象である「病葉」(引用者注−「わくらば」のルビあり)は、露風詩とともに大正のメランコリー(憂鬱)を病む若者たちを魅了した。葉は金の箔押し、虫喰いの黒は漆で表現されている。

 私たちは、すぐ、田中恭吉の「傷める芽」の表象を想起することができる。
 漆の使用は、事例があるのだろうか。これは部分的な使用ではあるが、全面使用にふみきった『春琴抄』との関連が気にかかる。
 線描の木版は、藤野常夫という人の彫刻による。露風の序によると、刊行時には亡くなっていたという。
 

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 トラピスト修道院に3週間滞在して帰京後に刊行されたのが、坂本の装幀による『良心』(大正4年、白日社)である。写真はスレのため金の箔押しが褪せているが、新本時は美しかっただろう。この詩集で表に出てきた宗教的な覚醒を伝えようとしたのかもしれない。

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 口絵には《牛》として、第6回文展に出品した《うすれ日》が掲げられている。三色版の印刷と思われるが、原画の魅力は感じられる。漱石は、「文展と芸術」でこの絵の牛は考えていると評した。この絵はこうしか描かれないという、付け入る隙がない感覚に漱石は反応したのだと思う。
 漱石は、自己の認識について、2面作戦をとっており、「文芸の哲学的基礎」「創作家の態度」では、自己の内には他者が宿るということに自覚的である。それに対して、世俗に存在する自己については、「文展と芸術」や「模倣と独立」で、自己表現や、個性の重視を訴えている。
 意識としての自己と、存在としての自己では、捉え方が異なっており、漱石の中に分裂があったことを見出すことができる。
 《うすれ日》を描いた坂本も、自己表現が、非我、他者の世界に向かうという弁証法を身をもって感じたはずである。
 漱石が「則天去私」を言い始めるのは、存在と意識の自己の分裂を止揚するためであったのではないか。古びた東洋思想への回帰ではなく、自己表現が伝統破壊に向かう不可避的な構造を自分の漢籍的教養の中にある用語を使って説明しようとしたのである。(木股知史)

2016年9月 8日 (木)

上野顕太郎を思い出す

 『アックス』90号(2012年、青林工藝舎)の近藤ようこ特集の単行本リストを眺めていると、4冊目にあたる1985年刊の『夕顔』(日本文芸社)を所持しているので、それから、だいたいずっと2009年の『花散る里』まで、近藤ようこを追いかけている。安吾の原作ものからちょっと遠ざかったのだが、これも読んでみようという気になった。
 この人の作品が、なぜ、私の頭によいかというと、文字を気にとめなくとも、絵が流れていくリズムが心地良いのである。
 さて、近藤ようこの他に、追いかけている漫画家がいるか考えていると、上野顕太郎のことを思い出した。亡妻記の『さよならもいわずに』まで、単行本全作を読んでいた。
 作品は出ているのかなあと思って検索すると、けっこう活躍している。『暇なマンガ家が「マンガの描き方本」を読んで考えた「俺がベストセラーを出せない理由」』(2015年、扶桑社)が面白そうなので、読んでみた。上野は、少年時に父に買ってもらった冒険王編集部編の『マンガのかきかた』を読んで、漫画家を志したという。
 マンガの書き方本を収集して、その傾向を分析したものだ。しかし、『漫画原論』のようにガチ真面目な本ではない。真面目になりすぎないように、斜めからの視線も考慮しながら、書かれたものだ。
 だから、大受けはしないが、漫画の書き方本の収集に反応するような私のような読者(おそらく少数)は喜ぶだろう。
 ついでに『いちマルはち』(2014年、アスキーメディアワークス)も買ってみた。おもしろいが、休憩に読んでいられない。文字が多く考えてしまうので、集中して読まないといけなくなる。
 ギャグ漫画家と人文研究者は似たところ(絶滅危惧?)があるような気もするが、これは先方にとっては失礼な話で、活動が続いていることはめでたいことである。

2016年9月 7日 (水)

小品研究まとめよう

 『明治大正小品選』(おうふう)の解説「小品文学の世界」を補訂し、他に書いたもの(「小品という領域」、スケッチ論、「焚火」論)を合わせて、小品研究として本にまとめておこうと思った。
 リタイアに向けての作業の一つにすることにしたい。引き受けてくれるところはないかもしれないので、表現急行舎を立ち上げることも視野に含めよう。
 とにかく時間を決めて、テキストを改訂していくことが先決だ。

◇校正にてまどったが、最後に一回読んで投函することにする。

◇9月は、苦手だ。温度差があり、日が昇ると今日も蒸し暑い。

2016年9月 6日 (火)

則天無私!

 さて、『文章日記』の記事を書いて、小品文の応募欄があったことが気にかかり、金子薫園編の『小品一千題』という新潮社の本のことを思い出した。初版は、大正5年の4月である。
 私が持っているのは、大正12年6月の19版と、大正13年3月の20版である。写真は20版の方である。

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 金子薫園は歌人だが、新潮社に深く関わり、編集上も活躍したことはよく知られている。『小品一千題』は、『明治大正小品選』(おうふう)を刊行する際に随分役だった。「文章倶楽部」を持つ新潮社や、読売新聞は、大正期に入っても、小品文集の刊行に積極的だった。
 本当に1000篇の小品文が集めてあるのだが、「文章座右銘」「小品文作法」「名家小品文例」が附録としてまず掲げられている。
 気になるのが、「文章座右銘」である。6ページにわたって、26名の座右銘が掲げられている。さて、漱石先生はどうかと見ていくと、ラスト26人目に載っていた。
 老眼で見間違いかと一瞬思ったが、「則天無私。」と書いてある。「去私」ではなく、「無私」である。

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 大正5年の秋頃、新潮社の大正6年版『文章日記』に掲載する座右銘として、漱石は「則天去私」と揮毫した。新潮社に渡したものが各図録に掲載されているのであり、これ以外に「則天去私」の書はないとされている。
 『小品一千題』の初版は、漱石存命時の大正5年4月である。献本していて、見ていれば、気がつく可能性もあっただろう。献本しなかった可能性も高い。初版を見てみたいが、こうしたたくさん売れた本ほど、実は古書で出会いにくいということがある。
 私の推理は、編集者は、思い込みで「則天無私」とした、それが気づかれずにそのまま踏襲されたということではないか、というものである。
 「無私」と「去私」は大違いなのである。
 没後、すぐ刊行された、「新小説」の臨時号「文豪夏目漱石」では、門下やそれに近い人だけではなく、中村星湖も「天に則って私を去る」という文章を寄せている。11月初めと中旬の木曜会で話題になった「則天去私」は、口コミで伝わっていたわけである。
 さて、名家の座右銘で面白いものを紹介しておこう。
 泉鏡花は、いかにも鏡花らしいことを言っている。


文房具をたいせつに扱ふこと、爪をとつて入浴する事。

 いいなあ。私もシャワーを浴びて校正の続きをする事にする。(木股知史)

2016年9月 4日 (日)

大正8年版の新潮社『文章日記』

 拙コラム『漱石と画文共鳴』、神戸新聞(毎週土曜夕刊掲載)もあと2回となった。先日、最終回(12回)まで校了した。配信記事のため、これから掲載のところもいくつかあるようだ。そのため、記事の中身と重なることは書かないが、関連して掘り出されたことなどは、いくつか記しておきたいと思う。
 「則天去私」の揮毫は、新潮社の大正6年用の『文章日記』の座右銘としてなされたことはわかっている。神奈川近代文学館の図録『夏目漱石100年目に出会う』(2016年3月)には、「十二名家文章坐右銘解説」の写真が紹介されている(53ページ)。
 日記については、和歌山県立近代美術館で版画家田中恭吉の資料を調査をした際に、田中が日記を書いていることを知り、また、田中淳氏には木村荘八の日記研究(『木村荘八日記[明治篇]校註と研究』東京文化財研究所他編、中央公論美術出版、平15)があり、明治末から大正初期にかけて、青年の間で日記を書くという習慣が広がり始めていたのではないか、という実感があった。青木正美氏に『古本商売 日記蒐集譚』(日本古書通信社、昭60)があって、古書で日記が掘り出されることもあるが、普通人の日記はなかなか出会うことがない。
 「則天去私」の印刷された『文章日記』を見てみたいと思っていた。荒正人の『増補改訂漱石研究年表』(集英社、昭和59年)などで、漱石以外の11名については、名前が分かっている。
 「則天去私」掲載の大正6年版とは、ずれてしまうが、8年版があきつ書店にあることがわかり、少し迷ったが、購入した。

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 本は上製で、装幀者は名前がわからない。クロス装、背の銀の箔押しもなかなかよい。菊半截だが、博文館のは、三五判ではなかったかと思う。博文館の動向を知るために、手近の山口昌男『敗者の精神史・上』(岩波現代文庫)を見ると、大橋新太郎の代になって、大正8年にはかなり低迷していたことがわかる。
 『出版巨人創業物語』(2005年、書肆心水)に収められた佐藤義亮の回想(「出版おもいで話」、昭和11年『新潮社四十年』所収)に当たるが、『文章日記』のことは記載がない。ただ、周知のとおり、『新聲』発行を支えるため、『文章講義録』を発行し、大日本文章学会(明治35年に日本文章学院に改称)を組織した。回想によれば、講義録は大正8年に廃刊したという。
 大正6年版『文章日記』の1月の項に「則天去私」が載っているということは、一番打者で漱石が大きく扱われているということである。漱石の単行本の版元は、春陽堂が一番で岩波がそれに次ぐ。新潮社は、『坊っちゃん』『色鳥』の2点である。自然主義に近い新潮社が、漱石の市場価値を重視し始めていたということだろうか。
 さて、あきつ書店から求めた大正8年版であるが、所有者は20歳(数え年)になろうとしている青年、しかし日記の記述は、三日坊主ならぬ1月坊主で、すぐ途絶えてしまっている。
 6年版とは異なって、揮毫は有島武郎が巻頭に一名のみ。各月は、写真入りで、文学者の文章に関する、短い文章が活字で掲載されている。

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 1月の座右銘は、やはり漱石。7年版はどうだったかわからないが、没後も〈文豪〉としての名声は揺るがなかったことがわかる。

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 文章教育に熱心だったこともあって、誌面構成は工夫がある。まず、作家の座右銘。その次に見開きで日記実例(1月は広津和郎)。下段には、1月の歌として、様々な歌人の歌が掲げられている。歌の先頭は石川啄木、「年明けて緩める心うつとりと、来方を凡て忘れし如く」。広津の日記文は口語体である。
 その次の見開きは、編集部の「文章月暦」。その月にふさわしい内容の文章。下段には、「一月の文題」として、「私の前途」「新年の街」「遠い友へ」などの題目例が提示されている。
 次をめくると、「一情一景」とあって写真と、それにふさわしい大家の文が下段に掲げられている。田山花袋の「松の内」という文章で、これは文語体である。左のページから、ようやく一日の欄となるが、一日の下段は文例があり、潤一郎と蘆花が上がっている。この取り合わせもおもしろい。
 さて、月の半ばに、切り取り線のついた小品文の投稿用紙がついている。奇数月のみ月末締め切りで投稿できるようになっている。文字数は、40字8行で320字。1月の文題は「年賀の客」「元日の午後」である。
 その他単調さを避けるためか、1日以外でも、下段に日記例が入っている日が、各月2日程度設けられている。
 この所有者は、1月の途中で日記をやめてしまっているが、差し障りのない一日の記述を引用してみよう。1月13日(月曜)の記述。


余輩としては、今日は工場出初だ/前田技師、杉本技師、工藤雇員に、留守中の挨拶を為す。/ぶらぶら(引用者注ー繰り返し符号)仕事に手を附けて見る。/頭は重い様だ。/「今年も容易じやないな」、私は心細くなつた。/セピヤ色の雲が重い頭の様にうつとうしく終日空をおほつて居た。

 新年早々思いやられるが、セピヤ色あたりの文は、文例から学習した痕跡が読み取れるのかもしれない。口語体である。口語文を書くのに学習が必要だったということを我々は忘れている。文語文が自然と思われた時期は長かったのではないか。大正8年というのは、新聞、雑誌の評論記事もほぼ口語化が普及した時期ではなかったか。
 徳田秋聲の若い写真が出ているので紹介しておこう。秋聲のいうように文章は書けないと思うが、いかがか。

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 おまけの「文壇諸家年齡表」も掲げておこう。一目にして老若の差が見てとれる。

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 最後に、「懸賞小品文」の募集要項を上げておく。「文章倶楽部」と連動していることがわかる。

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 いつか、著名人の無名時代の大正6年版『文章日記』を均一本で掘り出したいものだ。まあ無理だが! 
 ということで、久しぶりの研究ノートである。(木股知史)
〔追記〕田中恭吉の日記は、春陽堂のものだったかもしれない。
 木村荘八のものは、田中淳氏によれば、小杉放庵記念日光美術館所蔵のもので、三冊のうち一冊が春陽堂の「明治四十四年 新案当用日記」である。

2016年9月 3日 (土)

日記

◇ダイナブックのバッテリーが、発火するおそれあり、という手紙が来たので、勤務先のパソコンの確認に出かける。さいわい該当バッテリーではなかった。やれやれ。
◇今日の空

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◇ツイン21は、体力がなかったので、流すだけで帰る。天満宮で降りてもよかったが、断念。
『奇想の図譜』文庫版ほか1冊のみ。

2016年9月 1日 (木)

日記

◇コラム最終回原稿、送稿。12回目。あと校正があるが、ほっとする。なんとか、当初のコンセプトどおり、終わりにたどりついた。
 文字になった分量の、何十倍も資料データに当たったので、形を変えて生かせる。

◇近藤ようこ『死者の書』上・下巻を読む。よくできている。堪能した。絵は、初期と変わらないようでいて、熟練度が高まっている。ほんのふとした表情が生きている。著者は、折口原作の読書の手引きのようなものと謙遜しているが、イメージはふくらんでいる。
 24歳で、漫画専業になって35年というから、すごい。エッセイ集は1冊、面白く読んだが、また出さないかな。着物の人だ。「アックス」の特集号を注文した。

2016年8月31日 (水)

コミック・コーナー

 午後7時過ぎというのに、いちばん近い比較的大きな書店のコミック・コーナーは、わたし一人しかいないのであった。
 かつて、メジャーではないマンガ、コミックをたくさん購入し、たくさん読んだ。1980年代から90年代にかけてである。わんだーらんどという店が贔屓で、よく出かけたものだ。今は、なんばの店だけになった。客で賑わっていて、生き字引のような店長がいて、メジャー作品もマイナー作品もよく売れていた。
 あの活気はどこに行ったのだろう。最近は、電子版で読む人たちが増えてきているのだろうか。それにしても閑散としている。
 あの頃から、ずっと愛読している近藤ようこの『死者の書』の下巻と、初期作品集の1を購入した。近藤ようこの絵は、よく工夫されていて、視線の心地よい運動を体験することができる。それが何よりの気分転換になる。
 最近は、どこかへ、望むと望まざるに関わらず押し出されていくような感覚を覚えることが多い。

2016年8月30日 (火)

『質問』

掃除、整理をしていると、買って忘れている本が見つかる。書店のカバーをかけていると、忘れる可能性が高い。
きょうみつけたのは、田中未知『質問』(2000年7月、アスペクト)。日本語と英語で交互に質問がそれぞれ365個書かれている。英語と日本語は対応するようになっている。

「音もしないのにふりむくことがありますか」
英語版は、
Have you ever looked around without hearing any noise?

初刊は、1977年。
新書版で、365ページ。右開きで縦書き日本語、左開きで横書き英語が読めるようになっている。

オノ・ヨーコの『グレープフルーツ』は、命令形だったが、ヒントがあるのだろうか。
いや、ひたすら質問するという初期寺山のドキュメントに触発されたのだ。

晩年の寺山の秘書であったというが、あまり語られることのない人か?
〔付記〕2016年9月1日。不勉強だった。田中未知は、2007年に新書館から『寺山修司と生きて』という本を出している。

2016年8月29日 (月)

日記

◇校正が届いているのに気づくのが遅れる。少し、直しを加えるので、明日にしよう。
 仕事ごとに本を入れ替えるので、本がどこにあるか、探さないといけない。昔は、40ポケットのファイルブックに整理していたが、今やそのファイルブックが多くなりすぎてわからなくなっている。メモ帳などに写真を貼り付けておくのも手である。本やファイルを持たなくとも、どこでもできる。『うづまき』注釈の校正も、モバイルでPDFファイルを見ながら、メモを打ち込むとよいかもしれない。とは言っても、最終的には紙レベルで確認しないといけない。
◇『山の人生』だっと思うが、神かくしは、消失者を出したその家を浄化するという趣旨のことがさりげなく、かつ何の根拠もなく記されていて、驚いたことがある。そうした考えの根拠の説明としては、現在も、山口昌男の「スケープ・ゴートの詩学へ」(『文化の詩学Ⅱ』所収)ぐらいしかないのでは、ないか。
◇片付くと、気持ちがよいが、すぐ、乱れてくる。定常的な整理ができない。

2016年8月28日 (日)

掃除に疲れる

◇全体の7割で、掃除とまる。いつものことだが、100パーセントまでいかない。書類は大胆に破棄した。雑誌類は思い切って決意したら、すべて捨てることとする。
◇上田敏『うづまき』の注釈を、今年度中に出すことにした。いろいろ考えたが、非売品、研究版で出すこととした。単行本を基準に、上段本文、下段注釈というページ構成。仲間が版下を作成してくれたので、細かい詰めをしてから、刊行に持っていきたい。

2016年8月27日 (土)

日記

◇書窓展に行っている人はいいなあ。かたづけかたづけ。
 かたづけが進まないことで、年をとったことを自覚する。

◇古本屋さんにちょっとした問い合わせをしてみる。

◇先日、出会った、高峰博『夢学』の装丁は杉浦非水であった。ボロボロであるが箱付きはありがたい。植物を大きく描くのは、『百合子』『渦巻』(渡辺霞亭)などにも共通した特徴である。図録『杉浦非水の眼と手』には箱の図がないので、載せておこう。修正再版である。

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2016年8月26日 (金)

日記

◇コラム11回目原稿校了。彩色南画を取り上げる。勉強量に比べると、記事に出る部分はごくわずかである。しかし、勉強してトレースしているがゆえに、必要な情報を的確に選択できる。微差ではあるが、新しい見方もさりげなく埋め込んでおく。

◇ある方が長くブログを書いていると知らず知らずのうちに謙虚さがなくなる、と述べていた。なるほどと思う。

◇本を片付ける。少しの作業で疲れてしまう。なんとかしないと、次の仕事にかかるとまた片付けられない。やはり、1,000冊単位で整理すべき時期に来ているようだ。

2016年8月25日 (木)

日記

外出で疲れる。
帰宅すると、三月書房さんより本が届いており、おまけの『波』8月号を読む。これを読むのは、おまけでもらった時だけだ。
高山なおみと堀部篤史の対談、高山の料理本を買うことにする。

小島慶子と安冨歩の対談。二人とも頑張る人だ。わたしはがんばる根拠を失っている。

木皿泉の連載。「カゲロボ日記」。栗原康の来訪があったと。大杉伝は買ったはずだが、埋もれてしまつている。野枝伝も買いに行こう。

ページを繰っていくと、巻末の広告ページにいたり、「なぜジブリは勝ち続けるのか?」という惹句があって、激しい拒絶反応が起きる。「勝ち続けるのか?」だって? 今時、よくそんな発想ができるな、と嫌悪がふつふつとわいてきた。

文庫で小山田浩子の『穴』が出るようだ。

2016年8月24日 (水)

漱石は小品が第一

 松岡譲の河出文庫版『夏目漱石』が、何度も読むうちに、背中が断裂してしまったので、一応修理はしたが、同内容で、「第二章 作品の性格」が付いている『漱石 人とその文学』(昭和17年6月、潮文閣)を買い求めた。
 これも、紙質が悪いが、写真は貴重なものが多く、それほど印刷は劣悪ではない。たとえば、漱石蔵の良寛の書と、漱石自身の筆跡が比較できるように図版が並んでいる。
 初めて読む「第二章 作品の性格」に「心境の芸術」という節があり、次のような興味深い記述が見られる。


 心の芸術家漱石には終始一貫心の故郷があつた。小品の世界がこれだ。静かに澄んで、いかにも高品な潤ひがあり、千年来の日本文学の奥ゆかしい伝統の味ひを伝へて、しかもそれを次々と新らしく、生かして居る。

 『永日小品』『思ひ出す事など』『硝子戸の中』『ケーベル先生』などが挙げられている。松岡は、小説は時代に左右されるが、小品という「心境の芸術」は、不易の美によって人の心に訴えるという趣旨のことを述べている。

2016年8月23日 (火)

教科書名短編

 買い置いていた、中公文庫版『教科書名短編』の「少年時代」篇と「人間の情景」篇とをパラパラ読む。中学教科書に採択された短編小説のアンソロジー。
 竹西寛子「神馬(じんめ)」は、ちょっとカフカ的。しかし、この人は格調はある。高校教科書に採られている「兵隊宿」は好きである。
 「人間の情景」篇に収録の、菊池寛の「形」や、吉村昭の「前野良沢」を読んで、倫理的、道徳的に教える先生が多いのだろうな、と思う。でも、それは間違いではないか。「形」は、短編小説の構造という、倫理以前の事柄が大事なのでは。
 それから、「前野良沢」における杉田玄白は悪人なのではない。時代の推移の中で変わる倫理に同調する人が悪というわけではないのだ。
 各篇の目次は次の通り。


少年時代篇
【目次】
少年の日の思い出/ヘルマン・ヘッセ(高橋健二訳)
胡桃割り/永井龍男
晩夏/井上靖
子どもたち/長谷川四郎
サアカスの馬/安岡章太郎
童謡/吉行淳之介
神馬/竹西寛子
夏の葬列/山川方夫
盆土産/三浦哲郎
幼年時代/柏原兵三
あこがれ/阿部昭
故郷/魯迅(竹内好訳)

人間の情景篇
【目次】
無名の人/司馬遼太郎
ある情熱/司馬遼太郎
最後の一句/森鴎外
高瀬舟/森鴎外
鼓くらべ/山本周五郎
内蔵允留守/山本周五郎
形/菊池寛
信念/武田泰淳
ヴェロニカ/遠藤周作
前野良沢/吉村昭
赤帯の話/梅崎春生
凧になったお母さん/野坂昭如


 
 文庫版の類書として、佐藤雅彦編『教科書に載った小説』(ポプラ文庫)、小川義男監修『二時間目国語』(宝島社文庫)がある。

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